高山 将孝(たかやま まさたか、1945年10月30日[1][2] - )は、1970年代前半に活躍した日本のプロボクサー。中華民国(現中華人民共和国)上海市出身[3]。日本ライト級王者。右ボクサータイプ。
小学生時代からボクシングを始め、1961年の高校1年時に全日本高校選手権フライ級で優勝[4]。1963年10月に開催された東京オリンピックリハーサル大会でフェザー級に出場し、当時17歳の高校3年生ながら決勝でアマチュア全日本王者を破って優勝したことで注目されることになった[2]。高校卒業後は早稲田大学第二商学部に進学[5]し、同大学ボクシング部に在籍[6]。
1964年、フェザー級日本代表として1964年東京オリンピックに出場、2回戦で試合を優勢に進めたもののバッティングにより左まぶたを切ってレフリーストップで敗退[7] 。その後ライト級に転向し1966年と1967年に2年連続で全日本ボクシング選手権大会優勝[6]。
大学卒業後にピストン堀口道場に入門してプロに転向[3]。
日本屈指のテクニシャンとして高い評価を受けていた[8]。その技巧を買われ、引退後、アニメ「あしたのジョー2」の技術アドバイザーを務めたこともある[3]。
1970年1月21日 - 1973年7月2日
1974年2月18日 - 1975年5月8日(返上)