飯田健巳

飯田 健巳
名前
愛称 いいちゃん
カタカナ イイダ タツミ
ラテン文字 IIDA Tatsumi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-07-22) 1985年7月22日(39歳)
出身地 神奈川県座間市
身長 191cm
体重 84kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
2001-2003 日本の旗 向上高校
2004-2007 日本の旗 上武大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008 日本の旗 栃木SC 0 (0)
2009 日本の旗 横浜FC 0 (0)
2010 日本の旗 栃木SC 0 (0)
2011-2017 日本の旗 カターレ富山 62 (0)
通算 62 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

飯田 健巳(いいだ たつみ、1985年7月22日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手。既婚。ポジションはGK

来歴

座間市立西中学校向上高等学校上武大学を経て2008年に、当時JFLであった栃木SCに入団。しかし、小針清允らライバル達の壁を崩せずに1年で退団。2009年横浜FCに入団するが、大久保択生岩丸史也小山健二とGK陣が揃っておりベンチ入りすらままならず1年で退団。2010年に1年で栃木へ復帰するも、武田博行柴崎邦博のポジション争いに敗れ出場機会は無かった。

2011年カターレ富山へ移籍。第20節サガン鳥栖戦でJリーグ初出場を果たし勝利に貢献した。それ以降内藤圭佑に代わって正GKに定着していたが、シーズン終盤は負傷から復帰した鶴田達也にポジションを奪われた。2012年は第16節愛媛FC戦で左頬骨骨折と脳震盪により負傷。この代役として、京都サンガF.C.から守田達弥が期限付き移籍で加入。登録ウインドー適用の例外措置としての加入のため、飯田は6月15日付けで選手登録が抹消されたが[1]、7月20日付けで再登録された[2]。 その後も守田の控えという立場が続いたが、守田がアルビレックス新潟兵籍後はアビスパ福岡より水谷雄一が加入。序盤こそ水谷の後塵を拝したものの、チームの不調により出番を得ると17試合に出場した。しかし、夏場以降はレンタルでFC東京より期限付きで加入した廣永遼太郎にゴールマウスを譲る試合も多くレギュラーを勝ち取るまでには至らず、チームもJ3降格となってしまった。

降格後の2015年は、水谷が引退し新たに加わった江角浩司永井堅梧とポジションを争い、江角(20試合)に次ぐ13試合に出場した。しかし、2016年は前年4試合出場の永井にポジションを奪われてしまった。

2017年は公式戦出場無しに終わり、10月24日に現役引退が発表された[3]

2018年、カターレ富山のアカデミーGKコーチに就任した[4]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 栃木 22 JFL 0 0 - 0 0 0 0
2009 横浜FC 31 J2 0 0 - 0 0 0 0
2010 栃木 22 0 0 - 0 0 0 0
2011 富山 21 17 0 - 1 0 18 0
2012 1 8 0 - 0 0 8 0
2013 3 0 - 0 0 3 0
2014 17 0 - 2 0 19 0
2015 J3 13 0 - - 13 0
2016 4 0 - 0 0 4 0
2017 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J2 45 0 - 3 0 48 0
日本 J3 17 0 - 0 0 17 0
日本 JFL 0 0 - 0 0 0 0
総通算 62 0 - 3 0 65 0

脚注

  1. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ 2012年6月15日 Jリーグ公式サイト
  2. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ 2012年7月20日 Jリーグ公式サイト
  3. ^ 飯田健巳選手 現役引退のお知らせ 2017年10月24日 カターレ富山公式サイト
  4. ^ 飯田健巳氏 アカデミーGKコーチ就任のお知らせ 2018年01月17日 カターレ富山公式サイト

関連項目

外部リンク

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