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議員秘書の「飯島勲」とは別人です。 |
飯島 魁(いいじま いさお、文久元年6月17日(1861年7月24日) - 大正10年(1921年)3月14日)は明治・大正期の動物学者、魚類学者。海綿の研究と、鳥・寄生虫に関する研究が多く、日本動物学の前進に大きな役割を果たした。
日本鳥学会を創設し、1912年から1921年まで初代会長に就任。また、豪快な性格で、長さ10mに達するミゾサナダムシの幼虫を自ら飲んで、ミゾサナダムシの感染経路を明らかにしたエピソードでも知られる[1]。
経歴
家族
栄典
業績・研究
寄生虫類を研究し、その感染経路を明らかにする。また1918年(大正7年)に1000頁を超える「動物学提要」を著す。これは明治・大正期の動物学を総括したもので、長く必読の教科書とされ、日本における動物学の普及に貢献した。日本における水族館の発展にも貢献している。考古学にも興味を持っており、モースの大森貝塚の発掘に参加した。また、1879年(明治12年)、佐々木忠次郎とともに陸平貝塚を発掘調査をして、大森貝塚とは異なる縄文土器の存在を明らかにした。日本鳥学会を創設し、初代会長をつとめるなど、日本における近代的鳥類学の指導者でもあった。
献名された種
論文
脚注
- ^ 筑波常治文章著『万有百科大事典 20 動物』(小学館、1974年)
- ^ 森鷗外「獨逸日記」『鷗外全集 第三十五巻』岩波書店 p.89 1975年
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 75頁。
- ^ 日本学士院 2008
- ^ 日本鳥学会はこうして生まれた[1]
- ^ 西園寺亀次郎 『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 飯島魁『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
- ^ 『官報』第311号「叙任及辞令」1913年8月12日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第2522号「叙任及辞令」1920年12月27日。
参考文献
関連項目
外部リンク