隼型水雷艇(はやふさがたすいらいてい)は日本海軍の水雷艇。同型艇15隻。
フランス海軍のシクローヌ(Cyclone)級水雷艇が原型。「白鷹」との比較の結果[3]、1896年(明治29年)度計画によりノルマン社に4隻発注、翌年度計画より同型艇11隻を国内で建造した。
各艇の竣工は日露戦争の開戦前後に重なり全艇が参戦している。このうち「雉」は日露戦争開戦直前に竣工、そのまま参戦したが旅順方面哨戒作戦の帰途に対馬南端の豆酘崎(つつざき)沖の暗礁に乗り上げて破壊された。船体は放棄されたが修理の名目で新艇が建造され艦名はそのまま継承された。そして新艇完成18日後の日本海海戦にそのまま参加している。その他の同型艇に戦没した艇はなかった。
1919年(大正8年)から1923年(大正12年)にかけて各艇除籍された。明治期の水雷艇はこの型で最後となり、また昭和に復活した水雷艇(千鳥型水雷艇など)は事実上の小型駆逐艦であることから、実質的に日本海軍最後の水雷艇であった。
括弧内は建造所/組み立て所。ノルマン=フランス・ノルマン社、呉=呉造船廠(1903年より呉海軍工廠)、川崎=川崎造船所。艇名読みは明治31年3月16日付 達第28号、明治31年8月27日付 達第160号、明治33年10月15日付 達第162号、明治34年12月18日付 達第171号をそれぞれ参照のこと。