隠戸 |
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基本情報 |
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建造所 |
川崎造船所[1] |
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運用者 |
大日本帝国海軍 |
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艦種 |
運送艦[2](給油艦[3]) |
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級名 |
隠戸型[4] |
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母港 |
1925年時 呉[3] |
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艦歴 |
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計画 |
大正10年度[5](大正12年度艦艇補充計画[注釈 1]) |
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起工 |
1922年3月15日[1][6] |
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進水 |
1922年10月21日[1][7] |
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竣工 |
1923年3月12日[1] |
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最期 |
1944年11月13日沈没 |
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除籍 |
1944年12月20日[8] |
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要目(主に1925年) |
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基準排水量 |
公表値 14,050トン[1] |
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常備排水量 |
公表値 15,400トン[1][注釈 2] |
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満載排水量 |
17,310トン[9][注釈 3] |
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軽荷排水量 |
7,500トン[3] |
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総トン数 |
7,630.25総トン[3] |
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全長 |
470 ft 9 in (143.48 m)[3] |
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垂線間長 |
455 ft 0 in (138.68 m)[3] |
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最大幅 |
58 ft 2+3⁄4 in (17.75 m)[3] |
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吃水 |
軽荷平均 13 ft 8+1⁄2 in (4.18 m)[10] 満載平均 26 ft 6 in (8.08 m)[11] または 26 ft 6+9⁄32 in (8.08 m)[9] |
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ボイラー |
ロ号艦本式水管缶(混焼)4基[3] |
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主機 |
3段膨張式蒸気機関 1基[3] |
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推進 |
1軸[3] |
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出力 |
5,966馬力[3][注釈 2] |
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速力 |
公表値 12ノット[1] 13.7ノット[3][注釈 2] 経済速力 6ノット[3] |
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燃料 |
重油 2,370トン[3] 石炭満載 1,736トン + 庫外205トン[3][注釈 2] |
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航続距離 |
42,976カイリ / 6ノット[3] 19,100カイリ / 13.7ノット[3] |
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乗員 |
竣工時定員 157名[12] 1928年公表値 160名[1] |
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搭載能力 |
重油 8,576トン[3] 缶水 168トン、雑用清水728トン、飲水302トン[3] 獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[3] |
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兵装 |
50口径三年式14cm砲 単装2門[3][13] 40口径三年式8cm単装高角砲 2門[13][注釈 4] (竣工時に砲は装備していない[14]) |
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搭載艇 |
内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[3] |
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その他 |
2トン・デリック4本[3] 便乗者寝台 3床[3] |
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トンは全て英トン 計画、公表値は隠戸型給油艦の要目も参照 |
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隠戸(おんど)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の1番艦。艦名は広島県呉市の「音戸瀬戸」にちなんで名づけられた[15]。「隠戸」は「音戸」の別表記であり、「隠渡」とも書かれた[15]。
艦歴
大正12年度艦艇補充計画により、川崎造船所で大正12年3月12日に竣工し、呉鎮守府籍となる[16]。竣工後、石油輸送に従事する。1925年(大正14年)12月に第一予備艦となって兵装等を還納後[17]、1926年(大正15年)2月から1927年(昭和2年)3月までは第四予備艦となり乗員が配置されなかったが[18]、昭和2年4月に再就役の後は再び、北アメリカ方面[19]、タラカン[20]などからの石油輸送に任じる。1928年(昭和3年)12月4日の御大礼特別観艦式では「間宮」などとともに拝観者搭乗艦に指定された[21]。
1941年(昭和16年)10月15日付で第六艦隊(清水光美中将・海軍兵学校36期)付属となり[22]、補給部隊に属する[23]。日本本土とクェゼリン環礁間での輸送任務に従事し[22]、1943年(昭和18年)に入ってからは昭南(シンガポール)、パレンバン、ミリから日本本土およびトラック諸島、パラオ方面への石油輸送に従事した[24]。11月15日、単独で2513船団を編成して[25]駆逐艦「早苗」護衛の下にパラオを出港しバリクパパンに向かう。3日後の11月18日夜、北緯04度52分 東経122度07分 / 北緯4.867度 東経122.117度 / 4.867; 122.117[26]のセレベス海を航行中にアメリカ潜水艦ブルーフィッシュ (USS Bluefish, SS-222) の攻撃を受け中破し、護衛の「早苗」は沈没して船団は消滅した[27]。曳航されてマニラに入港し修理が行われたが、1944年(昭和19年)11月13日にマニラ湾でアメリカ第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機による空襲を受け沈没した。12月20日に除籍。
特務艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。
- 艤装員長
- 特務艦長
公試成績
実施日 |
種類 |
排水量 |
回転数 |
出力 |
速力 |
場所 |
備考 |
出典
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1923年1月27日 |
公試全力(1/5載貨) |
約7,400英トン |
89rpm |
6,191馬力 |
15.739ノット |
淡路沖 |
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[53]
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1923年2月1日 |
公試全力(満載) |
約15,400英トン |
87rpm |
5,966馬力 |
13.770ノット |
同上 |
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[54]
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脚注
注釈
出典
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『特務艦隠戸北米方面行動ニ関スル件』『重油輸送量ニ関スル件』(特務艦隠戸北米方面行動に関する件) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04015639900
- 特務艦隠戸『特務艦隠戸北米行動報告』(特務艦 隠戸 輸送報告(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04015665900
- 『大礼特別観艦式拝観者搭乗艦ニ関スル件』(大礼特別観艦式拝観者搭乗艦に関する件) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04016132300
- 第六艦隊司令部『自昭和十七年一月一日至昭和十七年一月三十一日 第六艦隊戦時日誌』(昭和17年1月1日〜昭和17年5月31日 第6艦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030020400
- 第一海上護衛隊司令部『自昭和十八年十一月一日至同十一月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』(昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030139900
- 『大正12年 公文備考 巻21 艦船/特務艦隠戸、第4駆逐艦製造一件』。Ref.C08050710900。
- 『大正12年 公文備考 巻22 艦船/諸公試(1)』。Ref.C08050714500。
- 軍務局第二課『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
- 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/12月(3)』。Ref.C12070498300。
同型艦
関連項目