阿仁町(あにまち)は秋田県北部にあった町である。2005年(平成17年)3月22日、北秋田郡の鷹巣町・合川町・森吉町と合併し北秋田市となった。合併後は北秋田市阿仁○○として地名が残るが、北秋田市阿仁前田地域は旧森吉町であった。
1955年(昭和30年)、阿仁合町と大阿仁村が合併し、阿仁町となる。山深い谷に狩猟生活をする阿仁マタギの集落が点在していたほか、1309年(延慶2年)に発見された阿仁鉱山の金、銀、銅の採掘で栄えた(1970年(昭和45年)に休山)。以前は銅の生産量が日本一だった。
地理
山
河川
滝
隣接していた自治体
歴史
日本三代実録で榲淵村(すぎふち)の一部として成立したとされる。
教育
中学校
(合併後は北秋田市立)
かつてあった中学校
- 阿仁町立阿仁第一中学校(阿仁町立阿仁合中学校)
- 阿仁町立阿仁第二中学校
- 阿仁町立大阿仁中学校
- 阿仁町立中村中学校
- 阿仁町立阿仁合中学校鍵ノ滝分校
小学校
(合併後は北秋田市立)
かつてあった小学校
- 旧阿仁町立阿仁合小学校(銀山小学校[13])
- 旧阿仁町立大阿仁小学校
- 阿仁町立中村小学校
- 阿仁町立荒瀬小学校
- 阿仁町立伏影小学校
- 阿仁町立三枚小学校
- 阿仁町立根子小学校
- 阿仁町立阿仁合小学校萱草分校
- 阿仁町立阿仁合小学校鍵ノ滝分校
- 阿仁町立荒瀬小学校露熊冬季分校
地名の由来
房住山が修験の場として開かれていた頃、房住山一帯を支配していた高倉長者[注 1]という族長がいた。その長者に「たつこ」というひとり娘がいた。この娘の婿は阿仁と言ったので、人々は彼のことを「阿仁殿」と言った。ところが、婿をとってしばらくしたら長者に男子ができた。長者は後に財産の争いが起き、血を見ることがないようにとクジ引きで土地を分け与えることにした。その結果、娘婿の阿仁殿は米ヶ沢(米内沢)、実子は鎌ヶ沢(鎌沢)に住みそれぞれの地を支配することになった。その後、二人は奥地を切り開き、娘婿は「大阿仁」と言われる比立内地区まで、実子の方は「小阿仁」とよばれ萩形までをそれぞれ支配することになった[14]。
アイヌ語の「アンニ」(木立)が転じたものという説もある。しかし、このような用例はアイヌ語辞典では確認出来ない。
交通
鉄道
道路
名所・旧跡
出身著名人
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク