『鏡のヴィーナス』(かがみのヴィーナス、西: Venus del espejo、英: Venus at her Mirror)は、スペイン黄金世紀の巨匠であるスペイン人画家のディエゴ・ベラスケスが描いた絵画。『鏡を見るヴィーナス』とも[1]。ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所蔵で、英語圏では『ロークビーのヴィーナス (The Rokeby Venus)』と呼ばれることが多く、諸外国では他にThe Toilet of Venus、Venus and Cupid、La Venus del espejoor、La Venus del espejo などと呼ばれている。1647年から1651年にかけて[2]、ベラスケスがイタリアに滞在していたときに描かれたものといわれ、ローマ神話の女神であるヴィーナスが裸体でベッドに横たわり、彼女の息子である愛の神キューピッドが支える鏡に見入っているという構図の絵画である。
ヴィーナスはキューピッドによって支えられている鏡を見つめているが、キューピッドにはその象徴である弓矢は描かれていない。この作品が最初に発表されたとき、恐らくは意図的に論争を巻き起こすために「裸婦像 (a nude woman)」として紹介された。この絵のヴィーナスの表情は鏡に映ったイメージとして描かれているが[7]、その顔の特徴はぼかされ、曖昧にしか表現されていない。美術評論家のナターシャ・ウォレスは、ヴィーナスの不明瞭な顔こそがこの絵の本質的な意味を表す鍵かも知れないと考えた。ウォレスは「ヴィーナスの肖像としての顔や描写に神話的な意味は何もない。この絵を観る人それぞれが夢中になる美のイメージが表されている[8]」「ヴィーナスの顔や描写には神話的な意味はなく、神話を隠れ蓑にした性愛画と言える。しかしそれと同時に魅力あふれる素晴らしく美しい作品である[9]」と述べている。
この絵には鏡のフレームに絡みつき、垂らされているピンクのシルクのリボンが描かれている。このリボンが何を表しているのかが美術史家たちによって議論されてきた。それらの議論の中には、恋人同士を結びつけ、また拘束するキューピッドの力を示したものである、鏡を壁に掛けるためのものである、ヴィーナスの目隠しに直前まで使われたものである、などといった見解もあった[6]。評論家のフリアン・ギャラーゴは、キューピッドの表情が非常に憂鬱に見えることに着目し、このリボンがヴィーナスを美の女神の名の下に拘束するものではないかと考え、この絵を「美に征服された愛 (Amor conquered by Beauty)」と名付けた[10]。
『鏡のヴィーナス』はベラスケスが描いた作品で現存する唯一の裸婦画であるが、その他に3枚の裸婦画の存在がスペインに記録として残っている。うち2枚はスペイン王室コレクションの記録で、1734年のマドリード王宮の火災で絵が焼失した可能性が高い。残る1枚はドミンゴ・ゲルラ・コロネルのコレクションとして記録されている[13]。これらの絵はそれぞれ、『もたれかかるヴィーナス (a reclining Venus)』、『ヴィーナスとアドニス (Venus and Adonis)』、『プシュケとキューピッド (Psyche and Cupid)』と名付けられていた[14]。
ベラスケスは裸婦画を生涯にわたって描き続けたと考えられているが、そのモデルは同一人物ではないかと推測されている。当時のスペインでは芸術家が制作のために男性のヌードモデルを雇うことは認められていたが、女性のヌードモデルを使うことは問題視されていた[15]。『鏡のヴィーナス』はベラスケスがローマに滞在していたときに描かれたものであると言われ、美術史家のアンドレアス・プラーターは、ローマでのベラスケスが「生身の女性のヌードモデルを使うべきであるという考えるにいたるような、放埒な生活を送ったのは間違いない」としている[15]。この絵はベラスケスのイタリア滞在時の愛人を描いたものではないかと考えられており、さらにこの女性はベラスケスとの子供を産んだとも言われている[9]。プラド美術館所蔵の『聖母戴冠 (Coronation of the Virgin, 1640年頃)』、『アラクネの寓話(織女たち)(Las Hilanderas, 1657年頃)』など、他にもこの女性がモデルになっている絵があると考えられている[16]。
この絵が影響を受けている絵画とはティツィアーノの『ヴィーナスとキューピッドとライチョウ (Venus and Cupid with a Partridge, 1550年 ウフィツィ美術館蔵)』、『
ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド (Venus and Cupid with an Organist, 1548年頃 プラド美術館蔵)』、特に『ウルビーノのヴィーナス』、ヴェッキオの『横たわる裸婦 (Reclining Nude)』、ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』などである[21]。すべて豪奢な織物にもたれかかったヴィーナスの構図で、屋外を描いたヴェッキオとジョルジョーネの絵でもこの構図は変わらない[20]。
裸婦画に対する当時のスペインの姿勢は、他のヨーロッパ諸国に比べて独特のものだった。裸婦画はスペイン国内の鑑定家、知識階級たちに評価されていたが、懐疑的に見られることが多かった。胸元を見せる低いネックラインの服が当時の女性の間で着用されていたが、美術史家のザイーラ・ヴェリス は「著名な女性がこのように胸元をあらわにした姿は、礼節上絵に描かれることは難しいだろう[27]」と述べている。17世紀のスペインにおいて芸術における裸体は、道徳、権力、芸術観などに束縛されていた。このような傾向はスペイン黄金世紀の文学にも影響しており、スペイン人劇作家ロペ・デ・ベガの戯曲である『La quinta de Florencia』では、神話を題材にしたミケランジェロが描いた半裸の人物の絵を見て女性を暴行する貴族が登場する[26]。
対照的に当時のフランスでは、胸元があらわで、細いコルセットを身につけた女性の絵画がしばしば描かれた[28]。しかしながらフランス王室による、裸婦が描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な『レダと白鳥』やミケランジェロの作品破棄、コレッジョの作品に対する裸婦画部分の切断など、フランスでも裸婦画が論争の的になっていたことは明らかである[29]。北欧では巧みに布で肌を隠した裸婦像は認められていた。胸があらわに描かれたルーベンスの『ミネルヴァに扮したマリー・ド・メディシス(Minerva Victrix, 1622年 - 1625年)』や、ヴァン・ダイクの『ヴィーナスとアドニスに扮したバッキンガム公爵夫妻(The Duke and Duchess of Buckingham as Venus and Adonis, 1620年)』などがある。
『鏡のヴィーナス』は、ベラスケスの傑作絵画のひとつとして長期間所有されてきた[32]。フェリペ4世の近臣だったガスパール・メンデス・デ・ガズマン・アーロが所有していた絵画コレクションの、1651年6月1日付けの目録にこの作品が記録されていることが1951年に判明した[33]。オリバーレス伯公爵だったアーロはベラスケスの最初のパトロンの甥で、有名な道楽者だった。美術史家のドーソン・カーはアーロのことを「女性を愛するのと同じくらいに絵画を愛した[11]」そして「賞賛する人でさえ、彼が若いころに下級階層の女性に示した、度を過ぎた耽溺を嘆いていた」と書いている。このような理由で、アーロは絵画を集めるようになったのではないかと思われている.[34]。さらに2001年に美術史家のアンヘル・アテリドが、『鏡のヴィーナス』はマドリードの画商で、画家でもあったドミンゴ・ゲーラ・コロネル (Domingo Guerra Coronel) が最初の所有者で、コロネルが死去する数年前の1652年にアーロに売却されたことを発見した[35]。コロネルがなぜこの絵を所有していたのか多くの謎に包まれている。どうやって、いつ入手したのか、なぜコロネルの絵画目録にベラスケスの絵画が記録されていないのか、などである。美術評論家のハヴィエル・ポルトゥスは、絵画目録にこの絵が記録されていないのは裸婦を描いた絵だったためではないかと推測し、「この種の絵画は人目をはばかるものだとみなされていたため、用心深く隠匿されていた」と考えている[36]。
『鏡のヴィーナス』はアーロから、第10代アルバ公爵フランシスコ・デ・アルバレスの妻であり、第7代カルピオ侯爵夫人でもあった彼の娘のカタリーナへ譲られた[38]。1802年にスペイン王カルロス4世はアルバレスに、王の寵臣で首相であったマヌエル・デ・ゴドイに『鏡のヴィーナス』を含む、数枚の絵画を売却するように命じた[39]。ゴドイは彼自身が注文したとも言われているゴヤの傑作、『裸のマハ(La maja desnuda / The Nude maja, 1797年-1800年 プラド美術館蔵)』と『着衣のマハ(La maja vestida / The Clothed Maja, 1798年-1805年 プラド美術館蔵)』と並べて、『鏡のヴィーナス』を暖炉のそばに飾った。これらのゴヤの作品はベラスケスの『鏡のヴィーナス』に構成が非常によく似ているが、ベラスケスと違って、ゴヤは18世紀スペインの他国に比べて退歩的であった羞恥心や嫌悪心といった思想風潮に対する挑発として、これらの裸婦画を描いた[40] 。
その後『鏡のヴィーナス』は友人で画家のトーマス・ローレンス卿の助言を受けたジョン・モリットによって500ポンドで購入され[41]、1813年にイングランドに持ち込まれた。彼はこの作品をヨークシャーのロークビー・パークにあった自身のカントリーハウスに飾った。このことからこの作品は『ロークビーのヴィーナス (The Rokeby Venus)』と呼ばれることもある。1906年にこの作品は、当時新設されたナショナル・アート・コレクション・ファンドが、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに最初に購入した絵画となった[42]。イギリス王エドワード7世はこの作品を非常に気に入り、購入資金として匿名で8,000ポンドを寄付し[43]、その後このファンドのパトロンとなった[44]。
後世への影響
ベラスケスは19世紀半ばまで後世に評価されず、絵画表現上の追随者も、作品が模倣されることもほとんどなかった。近年まで『鏡のヴィーナス』の視覚的、構成的革新性は他の画家たちによって発展させられることはなく、それはこの作品が俗悪なものであるという偏見も大きく影響していた[45]。1857年にマンチェスターで開催された「マンチェスター美術名宝博覧会 (Manchester Art Treasures Exhibition)」で、ベラスケスの名前が25枚の絵画によって紹介され、『鏡のヴィーナス』の存在が知られることになる。この博覧会までベラスケスの絵画はプライベートコレクションにひっそりと眠っているだけで、この作品が他の芸術家たちによって模倣されることはなかった。1890年と1901年に、後にモリットからこの作品を購入したアグニューらによって、ロンドンの王立芸術院に展示された。その後、『鏡のヴィーナス』は1906年にナショナル・ギャラリーに収蔵されると人目につく場所に展示され、模写された絵画を通して広く知られるようになった。この絵を目にした画家たちの作品にその影響が現れるまでには、長い時間を必要としたのである[46] 。
リチャードソンには美術品損壊に対する刑罰としては最高刑の禁固6か月が言い渡された[51]。その直後に彼女は、婦人参政権論者の集団である婦人社会政治連合 (en:Women's Social and Political Union) に宛てて「私は神話の歴史のなかでもっとも美しい女性を描いた絵を攻撃した。それは現代史においてもっとも品性美しい人物であるエメリン・パンクハースト夫人をイギリス政府が攻撃していることへの抗議である」という声明を出した[50]。リチャードソンは1952年にもインタビューに応じ「ナショナル・ギャラリーを訪れた男性客たちが、あの絵に長いこと見とれているのが我慢できなかった」と付け加えている[52]。
^Noting the resemblance of the model in these paintings, López-Rey offered: "Obviously, Velázquez worked in both cases, and, for that matter, in the Fable of Arachne and Arachne, from the same model, the same sketch, or just the same idea of a beautiful young woman. Yet, he put on canvas two different images, one of divine and the other of earthly beauty". López-Rey, vol. I, p. 156. However, MacLaren (p. 127) does not endorse these suggestions; they would probably argue that the painting was not produced in Italy. The Prado "Coronation" is dated to 1641–42; the present image is "stretched" vertically compared with the original.
^López-Rey believed that an overzealous cleaning in 1965 unevenly exposed some of Velázquez's "tentative contours", resulting in a loss of subtlety and contravening the artist's intent. López-Rey, vol II, p. 260. However, the National Gallery catalogue retaliates by describing López-Rey's description of the painting's condition as "largely misleading". MacLaren, p. 127.
^Carr, p. 217, see also MacLaren, p. 125 for the opposite view.
^MacLaren, p. 125. In particular, it had been claimed that the face in the mirror had been overpainted. See note above for López-Rey's criticism of the cleaning.
^ abVeliz, Zahira. "Signs of Identity in Lady with a Fan by Diego Velazquez: Costume and Likeness Reconsidered". Art Bulletin, Volume: 86. Issue: 1. 2004
^The engravings of such artists as en:Wenceslaus Hollar and en:Jacques Callot show, according to Veliz, "an almost documentary interest in the form and detail of European costume in the second quarter of the seventeenth century".
^Bull, Malcolm. "The Mirror of the Gods, How Renaissance Artists Rediscovered the Pagan Gods". Oxford UP, 2005. p. 169. ISBN 0195219236.
^Cherry, Peter. "Seventeenth-Century Spanish Taste2. Collections of Paintings in Madrid 1601–1755, vol. 2. CA: Paul Getty Information Inst. 1997. p. 73f.
^López-Rey noted that based on stylistic qualities, Beruete (Aureliano de Berueute, Velázquez, Paris, 1898) assigned the painting to the late 1650s. López-Rey, vol. I, p. 155.
^From 1648; before that Marquis of Heliche, by which title he is sometimes referred to. Portús, p. 57.
^Schwarz, Michael. "The Age of the Rococo". London: Pall Mall Press, 1971. p. 94. ISBN 0-2690-2564-2
^Brought to England by William Buchanan, a Scottish art dealer who kept an agent in Spain, G.A. Wallis. Bray, in Carr, p. 99; MacLaren, p. 127.
^The painting was not universally accepted as Velázquez's work on its reintroduction to the public. The critic, James Grieg hypothesised that it was by en:Anton Raphael Mengs—although he found little support for his idea—and there was more serious discussion about the possibility of Velázquez's son-in-law and pupil, Juan del Mazo as the artist. MacLaren p. 76 dismisses both claims: "The supposed signatures of Juan Bautista Mazo and Anton Raphael Mengs in the bottom left corner are purely accidental marks."
^Smith, Charles Saumarez. "The Battle for Venus: In 1906, the King Intervened to Save a Velazquez Masterpiece for the Nation. If Only Buckingham Palace, or Indeed Downing Street, Would Now Do the Same for Raphael's Madonna of the Pinks". New Statesman, Volume 132, Issue 4663, November 10, 2003. p. 38.
^Carr, p. 103, and MacLaren, p. 127, the latter of whom would mention copies and early prints if there were any.
^"The more frequent appearance of the motif in the late seventeenth and early eighteenth centuries is probably owing to the prestige of the antique figure of Hermaphrodite....In Renaissance art the earliest example of a nude woman lying with her back to the spectator is the en:Giulio Campagnola engraving, which probably represents a design by Giorgione"....Clark, 391, note to page 150.
^"And when Manet painted his Olympia in 1863, and changed the course of modern art by provoking the mother of all art scandals with her, to whom was he paying homage? Manet’s Olympia is the Rokeby Venus brought up to date — a whore descended from a goddess." Waldemar Januszczak, Times Online (October 8, 2006). Still sexy after all these years. Retrieved on March 14, 2008.
^Davies, Christie. "Velazquez in London". New Criterion. Volume: 25. Issue: 5, January 2007. p. 53.
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