酒井 忠解(さかい ただとき)は、江戸時代前期の大名。出羽大山藩初代藩主。庄内藩初代藩主・酒井忠勝の七男。
生涯
寛永20年(1643年)、酒井忠勝の七男として生まれる。正保4年(1647年)、父・忠勝が没するとその遺領のうち1万石を分与され、大山藩を形成する。
万治2年(1659年)、従五位下・備中守に叙任される。寛文5年(1665年)、平戸藩主松浦重信の娘と婚約する。寛文8年(1668年)、夫婦生活を得ぬまま、鷹狩り中に腸チフスにより急逝した。享年26。
子女がなかったため、翌寛文9年(1669年)に大山藩は廃藩となり、代官の管轄地となった。
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- 庄内藩より所領を分与され立藩
- 酒井忠解1866-1869
- 無継嗣により廃藩
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