鄭 大均(てい たいきん(정대균、チョン・テギュン、Chung Daekyun[2])、1948年4月8日- )は、日本の東洋学の学者。
東京都立大学名誉教授。専攻は東アジアのナショナル・アイデンティティ、日韓関係論、第12回大平正芳記念賞を受賞[3]。
略歴
岩手出身。父親は1922年、当時の京城から東京にやってきた朝鮮人で、1923年に出版され、朝鮮人によって書かれた最初の日本語小説として知られる『さすらひの空』の著者で、皇道思想家の鄭然圭である。母親は岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の北上市)出身。結婚してしばらくは東京に住んでいたが、1944年に空襲を避けて岩手県に疎開。大均はその地で戦後に生まれた。
岩手県立黒沢尻北高等学校、立教大学文学部および立教大学法学部を卒業。1973年から1974年にかけてアメリカ合衆国東部で暮らす。1978年カリフォルニア大学ロサンゼルス校修士課程修了(M.A、アジア系アメリカ人研究)。履歴については自叙伝的作品である『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)に詳しい。
米国から東京に戻り、英語学校で教えながら1980年頃から在日論を書き始める。その後1970年代に東京で会った留学生・崔吉城の誘いを受け、慶南大学校師範学部(韓国馬山市)、東亜大学校人文学部(韓国釜山市)、啓明大学校外国学学部(韓国大邱市)で14年間教える。
啓明大学校副教授から転じ、1995年に東京都立大学 (1949-2011)(首都大学東京(東京都立大学に名称変更))人文学部に助教授として着任、1999年に教授、2013年3月定年退職。同年11月から特任教授となる。在日韓国人二世であったが、2004年に日本国籍を取得した。
業績
日韓関係を集団アイデンティティの視点から分析。従来の歴史・道徳史観濃厚の日韓関係論とは異質の議論を展開。在日韓国・朝鮮人論も、その被害者性を強調する従来の在日論とは異質の議論を展開している。在日韓国朝鮮人に日本への帰化を勧めるとともに、韓国系日本人(元在日外国人)の立場から、永住外国人への地方参政権付与に反対し、2000年に国会で参考人招致を受けた際も反対論を展開した[4]。
家族
著書
単著
共著
共編著
論文
脚注
関連文献
関連項目