遠藤 誉(えんどう ほまれ、1941年1月3日[1] - )は、日本の社会学者、理学博士。作家、中国問題専門家[2]、筑波大学名誉教授、中国問題グローバル研究所 (GRICI) 所長[3]。
1941年に満洲国新京市(現:吉林省長春市)で生まれる。父親の大久保宅次は、同地でアヘン等の慢性中毒に対する治療薬ギフトールを製造する製薬会社を経営し、現地の中国人アヘン中毒患者などを救済した。日中戦争終結後も、日本の独立回復まで中国で教育を受けた。戦後に国民党軍と人民解放軍の市街戦で流れ弾を負傷し、家族が伝染病を罹患して移動禁止となる。長春包囲戦の飢餓で弟、叔父、いとこを失う[4]。死体が折り重なる卡子(チャーズ=Qiǎzi=検問所、包囲網と解放区の間の緩衝区域)で飢餓生活を強いられる。朝鮮戦争時は延吉にいた[5]。
1952年に日本へ引き揚げ、1961年に東京都立新宿高等学校を卒業する。1975年東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得。1982年7月15日 博士論文「モデル流動相における速度自己相関関数の分解の密度依存性 」。
1983年に『不条理のかなた』で読売ヒューマンドキュメンタリー大賞優秀賞を受賞し、日中社会の社会学的考察に基づいた社会評論や自伝小説などを発表する。1984年に長春包囲体験『卡子』を上梓[6]する。1990年代初頭に文部省の科研代表として北京へ赴き、卡子を書いた著者と密告されて中国政府から調査許可を得られず、自死を思い悩む[7]。
千葉大学、1993年から2001年まで筑波大学物理工学系・留学生センター教授[8]、帝京大学グループ顧問(国際交流担当)、留学生教育学会名誉会長、北京大学アジアアフリカ研究所特約研究員、中国国務院西部開発弁公室人材開発法規組人材開発顧問、内閣府総合科学技術会議専門委員、中国社会科学院社会学研究所研究員(教授)、上海交通大学客員教授、東京福祉大学国際交流センター長など、現在は筑波大学名誉教授、GRICI所長を務める[9]。
中国共産党軍が国民党軍統治下の長春を食糧封鎖して民衆約30万人が餓死した。7歳で長春包囲網を生き残った飢餓極限状態の実録として『チャーズ 中国建国の残火』を出版した[12]。