近鉄バファローズナイター(きんてつバファローズナイター、Kintetsu Buffaloes Nighter)は、1977年4月5日から2004年9月24日まで[注 1]、概ね4月から9月のプロ野球シーズン中の平日夜(詳細は後述も参照)にラジオ大阪(大阪放送、OBC)が制作・放送していたプロ野球中継番組である。
概要
番組内容は文字通り近鉄バファローズ→大阪近鉄バファローズ(1999年より)のナイターを扱い、球団の応援放送を全面的に打ち出していた[注 2]。また、球団の親会社である近畿日本鉄道(近鉄)をはじめとする近鉄グループの冠スポンサー番組でもあった(近鉄グループをメインスポンサーとした複数社提供。または、近鉄グループないしは近鉄百貨店の単独提供で放送[注 3])。通常は近鉄戦だけを実況中継し、ホーム・ビジター関係なく自社スタッフを出来る限り派遣していた(対西武ライオンズ・千葉ロッテマリーンズおよび東京本拠地時代の日本ハムファイターズ戦は文化放送、対クラウンライターライオンズ[注 4]戦や、本拠地球団不在時代の福岡県で開催の近鉄が関与する試合(主催・ビジターとも)や、対福岡ダイエーホークス[注 5]戦は九州朝日放送、対北海道日本ハムファイターズ[注 6]戦や、日本ハム移転以前の北海道遠征(ビジター扱いを含む)はSTVラジオ、ナゴヤ球場→ナゴヤドーム・長良川球場での近鉄が関与する試合〈主催・ビジターとも〉は東海ラジオ放送がそれぞれ制作・技術協力することもあった他、要員の都合によっては製作を前記各局に委託することもあった)。オールスター戦などでは、ネット放送も文化放送を中心に稀に行っていた。
開始当初の放送日は、毎週火 - 木曜日だったが、2001年に「マンデー・パ・リーグ」が導入され移動日(休日)が月曜日から木曜へ変更された事に伴い、火・水・金曜日へ変更され[注 7]、2003年まで続いた。なお、2003年は、消費者金融のアコムが球団スポンサー及び本番組冠スポンサーとなったことからタイトルに『アコム・スポーツスペシャル』の冠タイトルを入れた[注 8]。2004年は、近鉄グループのナイター中継への提供枠縮小に伴い、金曜日のみの放送となった。
また、1993年から2003年までは上記曜日以外にも、近鉄グループがスポンサーに付かない形で、1997年まで金曜に土・日と同じく『ラジオ大阪ドラマティックナイター』として、1998年から2000年まで『金曜バファローズナイター』(きんようバファローズナイター)として、2001年から2003年まで『月曜バファローズナイター』(げつようバファローズナイター)として、それぞれ放送した[注 9]。
放送時間は原則、2003年までは、近鉄グループがスポンサーに付く日は17:55-21:30、近鉄グループがスポンサーに付かない日は18:00-21:00という編成で放送されたが、2004年は、金曜の17:55-21:30に放送していた[注 10](いずれも、時間内に試合が終わらない限り、最長22:00までの延長オプションが設けられていた[注 11])。
近鉄デーゲーム中継
OBCは原則デーゲーム中継をすることはないが、近鉄のオープン戦と開幕カードについては中継する場合があった[注 12]。また、1988年10月19日のリーグ優勝がかかったロッテ対近鉄ダブルヘッダー(場所:川崎球場。通称:10.19)も、デーゲームだった第1試合から完全生中継していた[注 13][注 14]。
速報チャイム
速報チャイムはNRNナイター[注 15]用や『文化放送ライオンズナイター』で使用しているものとも違う独自のものを使用していた。このチャイムは1993年にラジオ大阪がAMステレオ放送を開始したことに合わせ、電子音にアレンジされたものに変更された[要出典]。
大阪ドームでのミニFM再送信
1997年からバファローズの本拠地球場となった大阪ドームでは、AMラジオの電波が入りにくいことから、場内ミニFMによるラジオ大阪の再送信を行っていた[17]。周波数はFM89.0MHz[17]。
近鉄戦中継のない場合
雨天中止や近鉄戦の予定が無い時は、開始初年度の1977年には、他の在阪球団主催カードを放送することがあったが(一例として、1977年5月26日の「南海対クラウンライター」[18])、土・日曜同様『OBCビッグナイター』の番組名に変えていたのか、スポンサーセールス面でも近鉄グループ協賛のままだったか、別スポンサーに振り替えていたかは不明である[注 16]。
近鉄ナイタージョッキー
その後は他の試合を放送しない方針に転換し(時期不明)、他の試合ではなくOBCのスタジオからバファローズの情報・近鉄沿線ガイドなどで構成したバラエティ番組『近鉄ナイタージョッキー』(きんてつナイタージョッキー)[注 17]を放送した[注 18]。
OBCスタジオ外からの公開録音放送を行ったこともあった[注 19]。
参考:1985年当時のコーナー
近鉄グループ提供日以外の代替番組
近鉄グループ提供日以外で近鉄戦の予定がないときは、主に以下のスポーツ番組ないしは歌謡曲番組を編成していた。
- 金曜スポーツ帝王(金曜『ドラマティックナイター』最終年の1997年。パーソナリティは寺西裕一)[注 21]
- 水谷ひろしの「いいね!歌謡曲」(1998年。18:00 - 21:30)[注 22]
- ガッツ大阪水谷ひろしのミレニアム歌謡曲(2000年)[注 23]
- ナイタージョッキー(2000年)
- 新世界歌謡曲(2001年)[注 24]
- OSAKA歌謡ウエーブ(2002年 - 2003年。金曜も放送)[注 25]
オリックスとの合併、そして終了へ
2004年、大阪近鉄バファローズのオリックス・ブルーウェーブへの球団合併に伴い、9月24日に大阪ドームから放送された近鉄対西武戦(本拠地・大阪ドームでの最終ゲーム)の実況中継をもって28年間の放送を終了した[注 1]。
同年10月2日には、『感動をありがとう!大阪近鉄バファローズ』と題した特別番組が放送[23][24](17:25 - 17:55、18:00 - 19:00[注 26])。歴代の解説者・実況アナ・近鉄ガールの出演で球団と『バファローズナイター』を振り返る構成だった[23]。
終了後
ラジオ大阪では2005年度から、日本の他の民間AMラジオ局に先駆けて、平日ナイター中継のレギュラー放送枠を廃止[2]。オリックス・ブルーウェーブによる近鉄球団の吸収合併によって誕生したオリックス・バファローズのホームゲームが金曜日に組まれている場合に限って、『オリックス・バファローズ ナイトスタジアム』というタイトルで中継枠を編成したが、1シーズン限りで終了した。レギュラー編成は、土・日曜日の『ドラマティックナイター』のみとなった。
バファローズナイター終了後のラジオ大阪における近鉄グループ冠スポンサー番組は、2008年4月4日に『ほんまもん!原田年晴です 金曜スペシャル』(金曜12:00 - 17:00)内の1コーナーとして開始した、『近鉄まわりゃんせアワー』(15時07分頃 - 15時37分頃)[25]、2011年4月リニューアルの『ぐるり近鉄沿線情報』(15時07分頃 - 15時22分頃→2016年10月現在、木曜13:05頃 - 13:22頃)がある。
出演者
解説
実況担当アナウンサー
スタジオ進行
- 片山光男(近鉄ナイタージョッキー担当[注 38]。また、1999年まで、バファローズご意見番として出演[注 39])
- 堀江良信(2000年より、バファローズ応援団長として出演)[注 40]
- 中井雅之(実況担当ではない場合に担当したことがある)
- 小菅文代(片山とともに近鉄ナイタージョッキー担当)[注 41]
- 原田登貴子(1993〜1995 近鉄ガール)
- 澤田真紀(澤田磨希。近鉄ガール)[注 42]
- 石川展子(近鉄ガール)[注 43]
- 安本雅代(2003年 - 2004年、近鉄ガールを担当)[注 44]
- 桂都丸(近鉄ナイタージョッキー担当)[注 45]
- 小西あき(近鉄ナイタージョッキー担当)[注 46]
- 橘秀明(2000年ごろ、金曜中止時の「ナイタージョッキー」担当[8])
- 仲みゆき(2000年ごろ、金曜中止時の「ナイタージョッキー」担当[8])
走れ!近鉄バファローズ
オフシーズン(概ね10月 - 翌年3月までの間)には、近鉄グループ提供により、18時からの15分枠で『走れ!近鉄バファローズ』というチーム情報番組を放送[注 47]。2003年3月を最後に終了、2003年 - 2004年のオフシーズンは放送されなかった。
出演者
1994年度オフ - 1995年度オフ
1996年度オフ - 1997年度オフ
1998年度オフ - 2000年度オフ
- 村田辰美・澤田磨希(1999年度までは澤田真紀)[注 48]
2001年度オフ
2002年度オフ
脚注
注釈
- ^ a b 放送開始・終了時期について…、
- ラジオ大阪開局60周年記念特設サイト[1]より、1977年4月5日の出来事として“プロ野球実況中継週5日でスタート”と記載。また、2004年9月24日の出来事として“28年間にわたり放送してきた「近鉄バファローズナイター」終了”と記載。
- 別の資料[2]では、2004年までの28年に渡り放送された旨が明記。
- ^ 参考…番組公式サイト(1998年[3])より、「ラジオ大阪では、98年度も近鉄バファローズのナイトゲームを中継放送し、バファローズを全面的に支援します。」との文言あり。
- ^ 参考として、1985年春当時のラジオ大阪番組表では、火・水曜は「近鉄グループ」、木曜は「近鉄百貨店」とだけスポンサー名が記載されていた(土・日の『OBCビッグナイター』については、近鉄グループ外の複数スポンサー名が明記)。
- ^ 1978年まで。1979年より福岡県から埼玉県に本拠地移転し西武ライオンズとなる。
- ^ 1989年、それまで大阪府に本拠地を置いていた南海ホークスが福岡県に移転し福岡ダイエーホークスとなった。
- ^ 2004年に北海道へ本拠地移転し、球団名を変更。
- ^ 参考…[5]
- ^ 2003年度当時のラジオ大阪番組表[6]では、火曜はアコムと近鉄グループ、水曜はアコムと近鉄百貨店と近鉄グループ、金曜はアコムと近鉄百貨店がそれぞれ明記(『アコム・スポーツスペシャル』の冠タイトルは確認できず)。
- ^ これら、近鉄の冠がつかない『バファローズナイター』については、球団公式ガイドブックの広告において記載されなかった(参考:2001年[5])。
- ^ 参考(放送時間):
- ^ 参考…番組公式サイト(1998年[3])
- ^ 参考…2001年は、16日の近鉄対ダイエーオープン戦を午後1時から、24日の日本ハム対近鉄開幕戦を午後1時30分からそれぞれ編成[15]。また、同年度の『近鉄バファローズナイター』を27日から編成していた[15]。
- ^ 参考:後年、ラジオ大阪公式サイト内で配信された、中井雅之(当時の第1試合実況担当アナ)によるコメント(「実況していて自分を忘れた唯一の試合」とつづっている)[16]
- ^ なお、ラジオ大阪開局60周年記念特設サイト[1]では、誤って1989年10月19日の出来事として“球史に残る川崎球場での8時間に渡る「近鉄-ロッテ戦」の熱闘を完全生中継。”と記載。
- ^ 通常NRNネットワークを通じてのナイター中継。ラジオ大阪では、土・日の『ドラマティックナイター』に相当。
- ^ 後年の『文化放送ライオンズナイター』は、不定期に巨人戦やロッテ戦などを放送する場合でもスポンサーセールスや番組名はそのままである。
- ^ OBCが梅田から弁天町(弁天一丁目のORC200内)へ本社移転した1993年以降は『近鉄ナイタージョッキー 弁天町からプレーボール』(きんてつナイタージョッキー べんてんちょうからプレーボール)と表記される場合もある。参考…番組公式サイト(1998年[3])、OBC公式サイト内平日番組表(2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2003年[11])
- ^ 参考…2004年度当時[19]
- ^ 参考…2004年7月29日に朝日スカイバイキング屋上ビアガーデンで収録[19]。
- ^ 次の資料では「河内屋菊水丸」表記…
- ^ 参考:1997年7月4日・18日・25日[20]。寺西がパーソナリティだったことは次の資料を参照[21]。
- ^ 参考:1998年6月12日[22])
- ^ 参考:5月5日[8]。ただし、『近鉄バファローズナイター』枠で編成される場合もあった(5月4・11・18日の木曜[8])。
- ^ 4月23・30日(出演:水谷ひろし、ゲスト歌手[9])
- ^ 出演:水谷ひろし(2002年[10]、2003年[11])。月曜…2002年7月15日[10]・2003年4月21日[11]、金曜…2002年6月14日[10]・2003年4月11日[11]
- ^ 放送時間については、各種資料より「午後5時25分から55分」[23](17:25 - 17:55…『OBCスペシャル』枠[23])「午後6時から7時」[23](18:00 - 19:00…『OBCバラエティー』枠[23])という情報あり。
- ^ 1988年はOBCビッグナイターへの出演のみで、バファローズナイターへの出演実績なし。
- ^ 1992年は出演実績なし
- ^ 1989年は出演実績がないままシーズン途中に死去
- ^ 1995年シーズン途中に死去
- ^ 1992年シーズン途中にオリックス投手コーチへ就任。1987年と1988年はOBCビッグナイターへの出演のみで、バファローズナイターへの出演実績なし。
- ^ 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』では1997年まで掲載。
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2004年[13]
- ^ 参考:1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2002年[10]、2004年[13]、ほか(“「近鉄バファローズナイター」実況、レポート ”と記載[27][28])。一部資料では「寺西祐一」と誤記(1998年[3])。
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]、2000年[8]、2001年[9]、2003年7月4日の西武対近鉄戦(西武ドーム)・9日・21日のロッテ対近鉄戦(千葉マリンスタジアム)[30]
- ^ 参考:2003年7月7日・23日のロッテ対近鉄戦(千葉マリンスタジアム)[30]
- ^ 参考;1985年春
- ^ 参考:1998年[3]、1999年[7]
- ^ 参考:2000年(肩書は「Bu応援団長」と表記[8])、2001年[9]、2002年[10]。月1回のイベント「がんばれバファローズ・ファン招待デー」[31]やナイタージョッキー[31]を担当。また、リスナーにより「炎の応援団長」というキャッチコピーも付けられた[31]。
- ^ 参考;1985年春
- ^ 参考:1999年(澤田真紀名義[7])、2000年(ここから澤田磨希名義[8])、2001年[9]、2002年[10]
- ^ a b 参考(本番組および『走れ!近鉄バファローズ』に出演の旨が明記[32])、1998年(本番組[3])
- ^ 近鉄ガール担当開始年については次の資料を参照[31]。最終年については次の資料を参照[16]。
- ^ 参考:1998年[3]
- ^ 参考:1998年[3]
- ^ 参考…2002年度オフ当時[33][34]
- ^ 参考:1999年度(10月[35]、翌3月[36])
出典
参考資料
関連項目
- 近鉄バファローズアワー…1975年から2004年までの間、朝日放送(ABC)ラジオで日曜→土曜の昼から夕方頃に放送していた、バファローズ応援番組。デーゲームがある際は中継番組として放送された。『近鉄バファローズナイター』と同じく、近鉄グループの冠スポンサー番組であり、沿線ガイドコーナーも存在した。
外部リンク
過去にラジオ大阪公式サイト内に掲載されていた番組公式サイト(ナイター中継総合ページも含む)の、インターネットアーカイブにおける保存キャッシュへのリンク。
出演者のサイト