賀島 長昌(かしま ながまさ)は、戦国時代の武将。阿波徳島藩家老賀島家初代当主。父は織田家家臣・賀島長重。正室は蜂須賀正勝の娘・奈良姫。子は賀島政慶、山田宗登室、益田長行室、益田正高室。通称は弥右衛門。
父・帯刀長重は元駿河今川義元の家臣で、主君義元と争い駿河を退去し、尾張の織田信長に仕えた。長昌も、父と同じく信長に仕えて、戦場で武功を立て、尾張や美濃に知行を給された。
天正10年(1582年)、本能寺の変で主君信長が死去すると、天正13年(1585年)に妻・奈良姫の兄である蜂須賀家政を頼って阿波に来た。家政より1万石を与えられ徳島城を預けられたが、天正16年7月4日(1588年8月25日)に死去した。
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