| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "西明寺" 豊川市 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年12月) |
西明寺(さいみょうじ)は、愛知県豊川市八幡町寺前にある、曹洞宗の寺院。
歴史
平安時代、三河守大江定基が愛妾力寿姫の死を悲しみ、庵を営み六光寺と名づけ、冥福を祈ったのが始まりとされる。付近には六光寺の地名が今も残る。当初は天台宗寺院だったようである。
鎌倉時代に入り、北条時頼が出家して最明寺入道と名乗り、この地を訪れた際に、最明寺と改称、禅宗寺院となった。
戦国時代の永禄5年(1562年)、徳川家康が八幡砦における今川氏との戦いの際、当寺に立寄り、空腹をしのいだ恩雇を深く感じ、本尊阿弥陀如来の西方浄土に因んで最の一字を西と改め、西明寺となった。
昭和5年(1930年)には、ベルツ博士の供養塔が花夫人によって建立された。これは博士が生前厚く仏法を信仰し、また当寺が花夫人の先祖の菩提寺であったことによる。
文化財
西明寺のモッコク
以下の4つが豊川市指定文化財に指定されている[1]。
- 木造阿弥陀如来坐像(昭和47年11月30日指定)
- 西明寺文書(一括)(昭和61年3月15日指定)
- 芭蕉句碑(昭和51年10月30日指定)
- 西明寺のモッコク(昭和52年4月20日指定)
アクセス
脚注
参考文献
- 新編豊川市史編集委員会 編、『新編豊川市史』第2巻(通史編)、「西明寺」、豊川市、p780-785、2011年
- 豊川市教育委員会 編、『豊川の歴史散歩』、「西明寺」、豊川市教育委員会、P206-207、2013年
外部リンク