西大路 隆修(にしおおじ たかのり、1834年9月13日(天保5年8月11日) - 1895年(明治28年)12月18日[1])は、日本の子爵。西大路家の第20代当主。父は西大路隆枝。養父は西大路隆意。
右近衛権中将・西大路隆枝とその妻で権大納言・池尻暉房の娘・保子の長男として生まれる。1884年(明治17年)より子爵となる。叔父である西大路隆意の養子となり、西大路家の家督を継いだ[2]。
私生活では小森頼之の娘である小森万寿子と結婚し、2女を儲けた。養子に竹屋光昭の四男である西大路吉光を迎え、家督は吉光が継いだ[3]。
1895年(明治28年)、死去。
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。