藤原 道雄(ふじわら の みちお)は、奈良時代から平安時代初期にかけての公卿。藤原北家、大納言・藤原小黒麻呂の四男。官位は従四位上・参議。
経歴
内舎人・大学允を経て、延暦15年(796年)従五位下・兵部少輔に叙任される。兵部少輔を務める傍らで、武蔵介・阿波守を兼帯し、延暦19年(800年)には従五位上に昇叙されている。その後、桓武朝末にかけて延暦22年(804年)散位頭、延暦23年(805年)宮内大輔、延暦25年(806年)刑部大輔次いで内匠頭と京官を歴任した。
平城朝でも大学頭・治部大輔等の京官を歴任し、大同3年(808年)正五位下に叙せられた。
嵯峨朝に入ると、大同5年(810年)に発生した薬子の変を挟んで右中弁次いで左中弁と要職の弁官に抜擢されるが、翌弘仁2年(811年)には早くも弁官を解かれて紀伊守として地方官に転じている。国司の任期を終えて、弘仁9年(818年)宮内大輔に再任されて京官に復し、弘仁10年(819年)従四位下に昇叙される。嵯峨朝末からは再び重用され、弘仁12年(821年)右大弁、弘仁13年(822年)蔵人頭に任官する。弘仁14年(823年)正月に従四位上に昇叙されると、5月には淳和天皇の即位に伴って参議に任ぜられ公卿に列した。同年9月23日卒去。享年53。最終官位は参議従四位上宮内卿。
漢詩人として『凌雲集』に2首の漢詩作品が採録されている。
官歴
注記のないものは『日本後紀』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
- 森田悌『日本後紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年
- 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
- 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
- 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年