藤原 経邦(ふじわら の つねくに)は平安時代初期の貴族。藤原南家、右近衛少将・藤原有貞の子。官位は従五位上・武蔵守。
皇太后大進や武蔵守を歴任した。延喜11年(911年)出羽守を務めていた際に、亭子院酒合戦に酒豪として招聘され、参加している[1]。盃を重ね、最初は調子がよかったが、嘔吐した。
※以下、『尊卑分脈』の記載に従う。
娘の盛子は藤原師輔に嫁ぎ、摂関を歴任した伊尹・兼通・兼家や、村上天皇の中宮となった安子ら四男四女の生母となっている。
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