藤原 家明(ふじわら の いえあきら/いえあき)は、平安時代後期の公卿。藤原北家末茂流、中納言・藤原家成の次男。官位は従三位・非参議。西四条と号す。
経歴
長承3年(1134年)主殿権助に任ぜられる。保延元年(1135年)従五位下に叙爵。保延3年(1137年)越後守。保延4年(1138年)左兵衛佐を務める。
保延6年(1140年)従五位上に叙される。永治元年(1141年)左近衛少将を務め、美濃守、備後守、内蔵頭などを歴任。その間、康治2年(1143年)正五位下、久安3年(1147年)従四位上、久安5年(1149年)正四位下に昇り、応和2年(1163年)従三位に叙され公卿に列す。
永暦2年(1161年)播磨守在任中後白河天皇の命で法住寺殿の造営を担当した。
仁安3年(1168年)41歳で出家。承安2年12月24日(1173年1月9日)に薨去。享年45。
官歴
※以下、『公卿補任』の記載に従う。
系譜
脚注