| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "蒲生氏" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年10月) |
蒲生氏(がもうし、かもうし)は、日本の氏族の一つ。代表的な一族に下記が挙げられる。
- 近江蒲生氏 - 藤原秀郷を祖と称する藤原北家の一族で、近江国蒲生郡の発祥。
- 大隅蒲生氏 - 藤原教清の後裔と称する藤原北家の一族で、大隅国蒲生院の発祥。
蒲生稲置の蒲生氏
蒲生氏(がもううじ)は、古代近江国蒲生郡に勢力があった豪族。
近江国の古代豪族である三上祝や、近江国蒲生郡の菅田首と同族であるとされる。
滋賀県東近江市鋳物師町にある竹田神社は、蒲生氏が建立した神社である。
近江蒲生氏
蒲生氏(がもうし)は、日本の氏族の一つ。中世以降藤原北家秀郷流を称し、近江国蒲生郡を中心に勢力を築いた。
室町時代には近江国の守護大名となった六角氏に客将として仕えた。
戦国時代の初期の蒲生貞秀は、守護の六角高頼をよく補佐し、六角氏の戦国大名化に貢献したが、嫡男の秀行が早世したため、その死後に嫡孫の蒲生秀紀と子の蒲生高郷との間に争いがおき、高郷が勝利し以後は高郷系が当主として続いた。
高郷の子の蒲生定秀は六角氏の宿老として活躍するが、蒲生賢秀の代に六角氏が織田氏に滅ぼされると、蒲生氏は織田氏に属し、賢秀の子である蒲生氏郷が織田信長の娘婿に迎えられるなど重用されたため、織田政権とそれを継承した豊臣政権において蒲生氏は大大名として大きく躍進した。
しかし、名将として知られた氏郷が若くして没した後も当主の夭折が続き、徳川幕府の大名として存続することには成功したものの、孫の蒲生忠知の代に後継がなく蒲生氏は絶家した。
系譜
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- 実線は実子、点線(縦)は養子。
大隅蒲生氏
蒲生氏(かもうし)は、日本の氏族の一つ。
鹿児島神宮の大宮司である藤原教清を祖とする藤原氏の一族。保安年間(1120年 - 1123年)に教清の子の舜清が、大隅国の垂水(現・垂水市)を経て荘園である蒲生院(現・蒲生町)を拠点とし、蒲生城を築いたのが始まり。
鎌倉時代から室町時代にかけては、守護として君臨した島津氏の下風に立ち、11代清寛は島津宗家(奥州家)7代元久・8代久豊の家老を務めるほどであった。ところが、戦国時代に蒲生氏の家督を継いだ婿養子の16代茂清(種子島氏12代種子島忠時の子)はにわかに渋谷氏一族や菱刈氏、さらに薩州家に調略された肝付氏庶流の兼演らと結んで、内紛で衰退した島津宗家に対抗した(茂清家督後に生まれた清親の子孫は変わらず島津宗家に仕える)。が、島津氏の内紛を収めた島津貴久の反撃を受け衰退、茂清の子の範清の代に降伏し、以後は島津氏の家臣となった(範清自身は島津氏に仕えるのを拒み祁答院氏、更に入来院氏を頼る)。ただし、貴久の命により家督は清親の子清綱が継ぐよう命じられる。
また、範清の子為清は、豊臣秀吉の九州征伐の際に密かに独立を企てたために島津義久に自害させられたが、そのとき幼少であった二人の子は京へ逃れ、成長すると加賀前田氏と信濃永井氏に仕えた。
系譜
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- 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
藤原教清 | | | | |
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蒲生舜清1 | | | | |
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助清 | 種清2 | 脇元宗平 | 忠清 | |
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清直3 | 永山種元 | 開佐良種綱 | 清平 | 沙汰浦清高 |
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清成4 | 北村清則 | 清脇 | |
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清続5 | 北村清久 | 清茂 | |
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清茂6 | | | | |
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宗清7 | 玄清 | | |
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直清8 | | | |
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清種9 | | | |
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清冬10 | 二階清正 | 清平 | 正円清名 | 清直 | 木佐木清重 |
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清寛11 | 西俣久清 | | |
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忠清12 | 清常 | | |
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久清13 | | | | |
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宣清14 | | | | |
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充清15 | 清賢 | 女 | | 種子島忠時 |
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清親 | | 女 | | 茂清16 |
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清綱18 | 谷河清本 | 範清17 | | |
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清宣19 | | | | 為清 | | | |
脚注
- ^
「
従三位藤原通基の男教清・
豊前国宇佐に居る、その子舜清・保安四年、当国垂水に来たり、同年蒲生および吉田を領し、蒲生氏といい、当城に拠る」
— 『系譜』、
参考文献
- 系譜参考