苫米地 四楼(とまべち しろう、1885年(明治18年)4月1日[1] - 1952年(昭和27年))は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は正三位勲二等功三級。
経歴
青森県上北郡藤坂村出身。苫米地義三の弟。1907年(明治40年)陸軍士官学校第19期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1]。のち1911年(明治44年)陸軍大学校に入校し1914年(大正3年)同校第26期卒業[1]。
1930年(昭和5年)近衛師団司令部附(大正大学配属将校)、1931年(昭和6年)陸軍歩兵大佐、1933年(昭和8年)歩兵第35連隊長、1935年(昭和10年)第9師団司令部附を経て、同年、陸軍少将・歩兵第29旅団長に任官する[1][3][4][5][6][7]。
その後、1937年(昭和12年)8月2日に待命、のち同月22日に予備役を経て、召集を受けて同年9月に新編の歩兵第104旅団長(第1軍、第108師団)となり、石家荘攻略に出征[1]。宋哲元軍を破り、次いで太原を敗走した閻錫山の根拠地である臨汾を攻め落とした[1]。翌年の1938年(昭和13年)召集解除、1945年(昭和20年)津軽要塞司令官に任ぜられ、終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]。
親族
栄典
脚注
- ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』496頁。
- ^ 『官報』第1197号、昭和5年12月23日
- ^ 『官報』第1258号、昭和6年3月12日
- ^ 『官報』第1864号、昭和8年3月20日
- ^ 『官報』第2530号、昭和10年6月11日
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』244頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。