若湊 義正(わかみなと よしまさ、1888年3月14日 - 1941年11月12日)は、現在の栃木県栃木市出身で高砂部屋に所属した力士。本名は北条 義(旧姓岡本)。4代富士ヶ根。167cm、96kg。最高位は西小結[1]。得意技は押し、右四つ、寄り。
1905年5月場所初土俵、その後一時病気で帰京し、大坂相撲の朝日山部屋で修業した後再び東上。広い肩幅、重い腰を利した右差しからの寄りで、1913年1月場所に新入幕、「若湊」と改名した後の1919年1月新鋭常ノ花を破るなど5勝5敗、翌1919年5月場所に小結昇進。1922年1月場所限りで引退し、4代富士ヶ根を襲名[1]。弟子は冨士ヶ嶽孝一郎を育てた[2]。協会内では理事を務め、金庫番となった[3]。