芳村 覚司(よしむら かくじ、1889年(明治22年)5月7日 - 1958年(昭和33年)12月9日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1889年(明治22年)に奈良県で生まれた。陸軍士官学校第24期卒業。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第125連隊長(北部軍・樺太混成旅団)に着任。1944年(昭和19年)10月に第30警備司令官(第5方面軍)に転じ、網走で警備の任に就いた。1945年(昭和20年)3月9日に宗谷要塞司令官に就任し、6月10日に陸軍少将に進級し、終戦となった。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」212頁。
参考文献