花房 職利(はなぶさ もととし)は江戸時代前期の旗本である。
家系は常陸国久慈郡花房郷を領した足利氏の一門、上野氏の庶流・花房氏である。
概要
花房職則の長男として出生する。元和6年12月(1621年1月)、時の将軍・徳川秀忠に拝謁したのち父の遺領を相続し[1]、備中国高松7220石取りの3代領主となる。
寛永11年(1634年)、将軍家光の上洛の際に、遠江今切の浜名湖にて渡船の手配を担当。正保5年(1648年)1月2日、41歳で没した[1]。
脚注
- ^ a b 『寛政重修諸家譜 第1輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)