緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。
父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。
父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた[1]。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった[2]。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した[3]。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた[3]。
終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた[3]。満州の首都・新京で離ればなれとなった父の消息は知れず、約2年の間家族4人で暮らすことになった[3]。
父の実家福岡県田川郡勾金村(現香春町)の祖父と祖母が温かく迎え入れてくれた[4]。父の実家が農家だったから最低限食べるものには困らなかった[4]。
早稲田高校を経て、早稲田大学第一法学部卒[5]。23歳で司法試験に合格、検事任官[5]。土屋公献は司法修習の同期[6]。
札幌地検、東京地検などを経て、公安調査庁調査第二部長として在日本朝鮮人総聯合会の調査を担当する[5]。
最高検察庁公安部長、公安調査庁長官を歴任。公安調査庁長官在任中に1995年3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した際には、長官として一連の凶悪事件を起こしたオウム真理教に対する情報収集を強化した。
平成7年(1995年)仙台高検検事長[5]。広島高検検事長を最後に定年退官し、弁護士となる[5]。
自身の人脈で依頼を受けたものもあったが、ヤメ検の先輩に紹介された企業も数多く、10社近くの企業の監査役や顧問といった職に就任した[7]。神戸製鋼所、太陽生命、三菱UFJ信託銀行といった有力企業からも声をかけてもらった[7]。
訴訟ばかりでなく、文部科学省の委嘱を受けて保健体育審議会の委員や、総理府の委嘱を受けて青少年問題審議会の委員を引き受けた[8]。
2007年6月28日、ビル売却に関する詐欺容疑で元自民党衆院議員秘書満井忠男らと共に東京地検特捜部に詐欺容疑で逮捕され、2014年5月、懲役2年10月執行猶予5年の有罪判決が確定した[9]。
なお、朝鮮総連と契約直後の2007年6月1日に韓国に出国したのは、旧日本軍の遺棄化学兵器処理事業に中国で参入する目的であったとされている[10]。
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