紅赤(べにあか)は、サツマイモの品種の一つ。
概要
紅赤(べにあか)は1898年(明治31年)、埼玉県木崎村(後の浦和市、現さいたま市浦和区)の主婦山田いちが、偶然発見したサツマイモの突然変異種である[1]。
従来のサツマイモよりも遥かに甘くて美味しく、翌年市場に出した所非常に高値で売れ、近隣の農家にたちまち広まった。この時近隣の農家の要望に応え苗の生産を請け負ったのが、山田いちの甥である吉岡三喜蔵であり、紅赤のネーミングは彼によるものである。吉岡三喜蔵は、伯母が生み出したこの品種を広める事を自らの使命とし、薄利多売で苗の生産販売を行った。
俗称「金時」とも呼ばれるが、徳島県の鳴門金時や石川県の五郎島金時とは異種である。
1931年(昭和6年)、山田いちは農業功労者に贈られる「富民賞」を受賞する。
日本でサツマイモが栽培されたのは江戸時代からで、関東地方では享保の大飢饉以降に盛んになり、長きに渡って飢饉の際の食物、主食の代用物とみなされてきた。しかし川越藩主・松平直恒が将軍徳川家治に川越地方でとれたサツマイモを献上したところ「川越いも」の名を賜り、寛政年間に「つぼ焼き」の焼芋屋が繁盛し「栗よりうまい十三里(または「十三里半」とも)」として「川越いも」の名が広まった。その川越地方では、いち早く紅赤をとり入れ、「川越いも」の知名度から「川越いも」といえばこの紅赤(昔ながらの金時)を指すようになった。
突然変異で誕生した紅赤は、栽培が非常に難しく地味を選び、関東ロームの赤土の埼玉県三芳町の三富新田しか生産地として残らなかったが、近年、川越市内でも栽培が復活した。改良品種の紅あずまと比べると収穫も3割ほど少なく、収穫時期も重なるため紅赤を栽培する農家は限られるが、熱のとおりが早く食感の良い紅赤はきんとんなど正月料理に欠かせない食材であり、「富の川越いも」(商標登録)として高級ブランド野菜となっている。「川越いも振興会」では優良系統選抜を行い、品質安定のための努力を続けている。
人為的な品種改良をされた品種が大半の現在のサツマイモ栽培で、紅赤の占めるシェアは僅か数パーセントに過ぎない。しかしながら、サツマイモが飢饉食から、今日のようなおやつ・菓子の材料としての「美味しい野菜」としての位置づけを獲得する事となった明治以降の品種改良において、紅赤はその端緒となった品種である。そういった意味で日本農業史、食文化史においての足跡は大きい。
脚注
- ^ 西尾敏彦. “主婦がみつけた不朽のサツマイモ品種- 山田いちの「紅赤」”. 「農業共済新聞」1999/08/11より転載. 農林水産技術情報協会. 2009年5月31日閲覧。
文献
関連項目
外部リンク