稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2016年2月6日)は、日本のスポーツ史学者[1]。
大阪府富田林市生まれ[2]。愛知県豊橋市で育ち、愛知県立時習館高等学校を卒業しており[2]、愛知県出身と紹介されることもある[1]。
東京教育大学体育学部を1960年に卒業して、専攻科に進み、さらに1962年に同大学院教育学研究科へ進学[2][3]、1969年に[3]博士課程を単位取得退学し[1]、東京教育愛学教務補佐員となった[2]。1974年から愛知教育大学助教授、1976年から大阪大学助教授を経て、1978年から奈良教育大学助教授、1984年から同教授となり、1997年まで在職した[1][3]。その後、1997年に日本体育大学体育研究所教授、翌1998年に同大学院教授となった[2]。
また、スポーツ史学会会長を2回にわたって務め(1996年 - 2000年、2004年 - 2008年)[2][3]、神戸市外国語大学客員教授、ISC・21(21世紀スポーツ文化研究所)主幹研究員なども歴任した[4]。