秋山 昌詮(あきやま まさのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。『寛政重修諸家譜』では景詮とする。甲斐武田氏の家臣。左衛門佐。
略歴
金丸虎義の三男として誕生。諱は、『甲斐国志』では昌詮[注 3]、『寛政重修諸家譜』では景詮とする。
秋山虎繁(晴近。伯耆守)に男子なく、その養子となる。甲斐国大崎城を預かった。『甲陽軍鑑』に拠れば駿河侵攻や西上野侵攻などで活躍したが、若くして病死したという。29歳。法名は正山。
駿河国富士郡(現・静岡県富士宮市)の富士山本宮浅間大社に奉納された『駿河富士大宮浅間神社神馬奉納記』は天正5年1月から5月の間に成立したと考えられており、神馬を奉納した武田家臣の中に「秋山左衛門尉」の名が見られる。
末弟・親久(景氏)が跡を継いだ。恵林寺(現・山梨県甲州市塩山小屋敷)に葬られ、養父と並んで墓がある。
兄弟
○出典:『寛政重修諸家譜』
脚注
注釈
- ^ 死没時の年齢から逆算。
- ^ 没年は『本土寺過去帳』による。
- ^ 名は「金丸系図」に従う、とある。
出典
参考文献