神谷・荘司計画設計事務所(かみやしょうじけいかくせっけいじむしょ)は、日本の建築設計事務所。
東京大学工学部丹下研究室で代々木体育館、丹下健三都市・建築設計事務所(ULTEC)で代表を務めた神谷宏治が1971年に独立し設立した株式会社神谷宏治計画・設計事務所を1977年に改組し、丹下研究室で墨記念館、国立屋内総合競技場大体育館スタンド部、東京カテドラル聖マリア大聖堂を担当した荘司孝衛と設立。 1999年に解散。
荘司孝衛(しょうじ・たかえ)は1929年東京生まれ。1956年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、東京大学大学院に進学し丹下研究室に。1958年に東京大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程修了。そのまま丹下研究室の研究員として在籍。1962年から1973年までULTEC在籍。1961年URTEC入所。東京カテドラル聖マリア大聖堂や静岡新聞放送会館などを担当。1972年から神谷設計事務所と兼務で在籍したが同年内にURTEC 退所。 1973年から事務所移籍。 1977年神谷・荘司計画設計事務所。 1999年荘司計画設計事務所。 2004年 同事務所廃業。
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