石澤 良昭(いしざわ よしあき、1937年9月19日 - )は、日本の歴史学者で、第13代上智大学学長。専門は東南アジア史、カンボジア王国のアンコール・ワット時代の碑刻文解読研究。上智大学アジア人材養成研究センター所長、上智大学アンコール遺跡国際調査団の団長を兼務。文化庁文化審議会会長を務めた。
1937年、北海道帯広市で生まれた。1957年、北海道帯広三条高等学校を卒業し、上智大学外国語学部フランス語学科に進学。1961年に卒業した。1961年、カンボジアConservation des Monuments d'Angkor研究員として研究に従事。中央大学大学院文学研究科東洋史専攻に進み、1968年に修士課程修了。1971年に博士課程を満期退学。
1971年、聖マリアンナ医科大学医学進学課程専任講師に就いた。1974年、聖マリアンナ医科大学助教授に昇格。1977年、鹿児島大学助教授に転じた。また同1977年、学位論文『古代カンボジア史研究:Preangkor期の政治と社会』を中央大学に提出して文学博士号を取得[1]。1980年に同大学教授に昇格。
1982年、上智大学教授に就任。1997年より上智大学外国語学部長を務めた。2005年4月1日、第13代上智大学学長に就任。2011年4月1日、上智大学を退任し、特任教授となった。
※以上、「上智大学教員教育研究情報データベース」の個人プロフィール[2]より
学生時代から45年間にわたり、カンボジアのアンコール・ワット遺跡群の調査・研究を続けている。内戦で日本との国交が断たれた期間も現地に入り遺跡の保護活動を行った。外国人の研究者が主導してきたアンコール遺跡の発掘・保存・修復作業を、「カンボジア人自身が遺跡を守るべき」との理念を掲げ、現地に「アジア人材養成センター」を設立するなど、「行動する大学教授」としてカンボジアでも名前が知られている。
2001年3月〜8月、「上智大学アンコール遺跡国際調査団」が、アンコール・ワット近くのバンテアイ・クデイで千体仏石柱と274体の廃仏を発掘する。アンコール王朝末期の歴史的解釈について、従来の学説を塗り替える大発見となる。上智大学学長になってからも、民間の旅行会社が企画するカンボジアツアーに参加し、現地を訪れる日本人観光客に同行してアンコール遺跡のガイド役をつとめている[4]。
2006年、「高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会」の委員長として、古墳内部のカビの大量発生と壁の損傷事故を国に報告すると同時に、文化庁の官僚組織の弊害や情報公開の姿勢を批判し[5]、文化財・国宝の保護のあり方が社会問題化するきっかけとなった。2007年から文化庁文化審議会会長となり、「負の遺産」として足尾銅山の通洞坑跡を国指定の史跡に[6]、熊本県のハンセン病の治療施設を登録有形文化財に登録[7]する答申を出して注目された。