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この項目では、旗本について記述しています。梧堂の同名の人物については「石川総朋 (梧堂)」をご覧ください。 |
石川 総朋(いしかわ ふさとも)は、江戸時代中期の旗本。忠明系石川家(大久保家)3代。大久保の家号を石川と改めた。
生涯
正徳2年(1712年)大久保総比の長男として誕生した。享保13年12月7日(1729年1月6日)将軍徳川吉宗に拝謁し、父死去に伴い享保15年9月2日(1730年10月13日)家督を継いだ。享保17年閏5月2日(1732年6月23日)弟石川総共が旗本である保久石川家の家督を継ぎ、元文元年2月25日(1736年4月5日)には弟総候が本家筋にも当たる常陸下館藩の養嗣子となった。なお、総共養子入り直後の享保17年11月7日(1732年12月23日)、家号を石川に改めた。明和元年8月13日(1764年9月8日)致仕し、安永2年5月17日(1773年7月6日)死去した。長男石川総相が家督を継いだ。
参考文献
- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家譜難波録』
関連項目