石光 真臣(眞臣)(いしみつ まおみ、1870年6月7日(明治3年5月9日) - 1937年(昭和12年)12月8日)は、日本陸軍の軍人。陸軍中将従三位勲一等功四級。日露戦争時の諜報活動で知られる石光真清は兄。
略年譜
- - 熊本県託麻郡本山村(現・熊本市中央区)に旧熊本藩士・石光真民(100石[1])、守家の子として生まれた。
- - 陸軍幼年学校卒業 野戦砲兵第2連隊入隊
- - 陸軍士官学校卒業(1期[2])、 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期を砲兵科1番/19名で卒業している。
- - 陸軍砲兵少尉
- - 陸軍大学校卒業(14期)
- - ドイツに留学(-1904年4月) 分家して一家を創立する
- - 第十連隊大隊長
- - 旅順要塞参謀
- - 陸軍少将 支那駐屯軍司令官として天津に在勤
- - 憲兵司令官
- - 陸軍中将
- - 馬政局長官
- - 第1師団長
- - 関東大震災の際、帝都警備の為、東京南部警備司令官として活躍
- - 予備役
- - 胃癌により死去 墓は東京都府中市の多磨霊園にある
栄典
- 位階
- 勲章等
家族・親族
系譜
- 石光家は身分の軽い武士であったが、細川家が肥後入国の時からお供をした家柄であり、代々殿のお側に奉仕していたため特別の取り扱いを受けていた[13]
東季彦
┏栃原知定 ┃
┃ ┏石光真澄 ┣━━━東文彦
┗守家 ┃ ┃
┃ ┣石光真清━菊枝
┣━━━━┫
┃ ┣石光真臣
┏石光真民 ┃
┃ ┗真津
┃ ┃
┗野田豁通 ┣━━━橋本龍伍━┳橋本龍太郎
┃ ┃
橋本卯太郎 ┗橋本大二郎
脚注
- ^ 秦 2005, p. 18, 第1部 主要陸海軍人の履歴:陸軍:石光真臣
- ^ 上田正昭ほか監修 著、三省堂編修所 編『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、106頁。
- ^ 『官報』第2576叙任及辞令」1892年2月4日。
- ^ 『官報』第3142号「叙任及辞令」1893年12月18日。
- ^ 『官報』第3862号「敍任及辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。
- ^ 『官報』第3888号「叙任及辞令」1925年8月8日。
- ^ 『官報』第3749号「叙任及辞令」1895年12月25日。
- ^ 『官報』第2046号「叙任及辞令」1919年5月31日。
- ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
- ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
- ^ 子は政治家になった橋本龍太郎(元総理大臣)、橋本大二郎(元高知県知事)兄弟
- ^ 石光真清『城下の人』中公文庫、17頁
参考文献
外部リンク