皇太夫人(こうたいふじん/ぶにん・おおとじ・すめみおや・おおみおや)は、天皇の生母で、前天皇の夫人(のち女御)であった人をさす。醍醐天皇より前には、皇太后を「帝の母で后」、皇太妃を「帝の母で妃」と称したのに対しこう呼ばれた。嵯峨天皇の皇后橘嘉智子、淳和天皇の皇后正子内親王の後、醍醐天皇のキサキ藤原穏子が立后するまでの九十年間、天皇のキサキが皇后にたてられることはなかった。
仁明天皇の女御で文徳天皇母の藤原順子以降、九世紀後半の天皇生母は、いずれも配偶者である天皇の在位中は妻后として立后することなく、女御の地位に留まった。その後、所生子が天皇となるに及んで皇太夫人となり、折を見て立后し皇太后となった。ただし、天皇の即位前に薨去した生母については、生前に皇后になっていなくても皇太后を追贈された。光孝天皇生母の藤原沢子や醍醐天皇生母の藤原胤子は天皇即位前に薨去し皇太后を追贈された。結局、醍醐天皇養母である藤原温子を最後に皇太夫人の称は用いられなくなった。
聖武天皇生母・藤原宮子も、神亀元年2月6日に大夫人と号されたが、上述のとおり同年3月22日に撤回され、令制のとおり皇太夫人となった。また、光明皇后の母(孝謙天皇の外祖母)の県犬養橘三千代も、死後の天平宝字4年(760年)8月7日に大夫人の称号を贈られている。
日本書紀の編纂において、令制に合わせてつけられた呼称と考えられる。
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