ローレンス・ブレア(英語版)(英: Lawrence Blair)の1976年の著書『Rhythms of Vision: The Changing Patterns of Belief』(邦題:『超|自然学』)の序文を書いたライアル・ワトソンが、日本で起こった話として記したものが初出とされる[6]。ワトソンの1979年の著書『Lifetide』(邦題:『生命潮流』)では、幸島で実際に起きた猿の芋洗い行動を河合雅雄らの論文を出典として紹介すると共に、幸島ではこの後に異常が起きていたとして、「個人的な逸話」や「霊長類研究者の間に伝わる伝承」を元に詳細を即興で創作したとして現象の詳細が記された[7]。1982年には、この現象を核兵器廃絶運動に用いるべくケン・キース・ジュニア(en:Ken Keyes Jr.、1921年-1995年)が『The Hundredth Monkey』(邦題:『百番目のサル』)の題で出版した。『百番目のサル』では、詳細が記されているとしてワトソンの『生命潮流』を挙げていながらも[8]、この現象を創作ではなく事実であるとしている[9]。
^KAWAMURA, S. (1963). “The process of sub-cultural propagation among Japanese monkeys” (英語). Primate Social Behavior.
^Syunzo Kawamura. “目次” (pdf). 2018年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月22日閲覧。 「THE PROCESS OF SUB-CULTURE PROPAGATION AMONG JAPANESE MACAQUES」p68-82掲載、今西錦司「SOCIAL BEHAVIOR IN JAP ANESE MONKEYS, Macaca fuscata」はp82-90に掲載と記述あり。