白石 敬子(しらいし ひろこ[1]、1945年2月1日[2] - 2018年3月20日[3])は、神奈川県藤沢市出身の日本のオペラ歌手。ウィーン国立歌劇場で日本人初の専属ソプラノ歌手として活躍した[4]。
1945年2月1日に神奈川県藤沢市辻堂に生まれ、幼少期からピアノと声楽、バレエを習った[5]。十代半ばで父を亡くし、市立中学校教師の母のもと育った[5]。
横浜市立桜丘高等学校、武蔵野音楽大学声楽科卒業、同専攻科修了[5]。
1967年「フィガロの結婚」の伯爵夫人役でプロとしてデビューした[5]。
1969年にロータリー財団の奨学金でウィーン国立音楽大学へ留学し、リート・オラトリオ科とオペラ科を同時履修した[5]。フェルディナンド・グロスマンの指導を受けた[6]。ピアノ伴奏で親しくなった白石隆生と結婚[5]。
大学を最優秀首席で卒業後、1974年にミュンヘン国際音楽コンクールで2位入賞[5]。1976年に日本人で初めてウィーン国立歌劇場の専属歌手となった[5]。
1982年に独立後、ヨーロッパの主要歌劇場から「蝶々夫人」「ラ・ボエーム」などの主役に招かれた[5]。
日本に帰国後、夫とともに日本ウィーン・フィルハーモニー友の会の結成に協力した[5]。藤沢市民オペラを創設した福永陽一郎に誘われ、1988年に「椿姫」に出演後、6演目に出演した[5]。
1992年、隆生と敬子は藤沢のプロの有志で「湘南室内合奏団」を創立した。毎年「ニューイヤーコンサート」を開催し、24年間続いたが、夫隆生の急逝で2016年最後の「ニューイヤーコンサート」を追悼演奏会として行った[7]。
2004年、進行性大腸がんを患う[5]。転移を繰り返し、15回もの手術を受けながら、音楽活動を継続した[5]。
2015年10月、福永陽一郎没後25年のチャリティコンサートを藤沢市民会館で開催。発案者となる[8]。その収益で同会館前に「藤沢市民オペラ生みの親 福永洋一郎」の石碑を設置した[9]。
2017年11月、経済的に困窮している医学生らへの支援を望み、藤沢市に寄付することを申し出て[5]、2018年1月末に5000万円の寄付金が市に贈られた[10]。藤沢市は2017年4月から運用している返済不要の「給付型奨学金制度」にこの寄付金を加え、あらたに医学部か歯学部へ進学する学生を対象にした枠を創設。同制度の中に「白石敬子奨学金[11]」を設け[12]、2020年4月の入学生から給付を開始した[13]。
自宅を改装する形で2019年に記念館として藤沢市辻堂にオープン[23][24]。敬子は隆生の了承を得ていた「一般財団法人小笠原東陽顕彰会」を2018年に設立。これを母体として記念館の運営管理を行っている[25]。館内には小笠原東陽や耕餘塾関連資料が展示されている[26]。