田代 進四郎(たしろ しんしろう、嘉永3年11月23日[1](1850年12月26日) - 大正15年(1926年)3月13日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
肥前国小城郡小城町(現在の佐賀県小城市)出身[1]。茨城県学務課勤務や出版事業経営を経て、宮城県仙台市に弁護士事務所を開業した[1]。仙台弁護士会長[3]、宮城県教育会副会長、仙台英語学校校長などを務めた[1]。また仙台市会議員、同議長、宮城県会議員、同議長に選ばれた[3]。
1912年(明治40年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした[2]。
その他、広瀬電力株式会社取締役を務めた[3]。