独島の月(トクトのつき)は、大韓民国・慶尚北道が制定した「独島」(日本名:竹島)の領有権保有をPRする目的で制定された月間イベントのタイトルである。大韓帝国が1900年10月25日に独島=竹島を管轄地域に指定したという、韓国側の主張にちなんでいる。
制定の経緯と背景
島根県が2005年3月に竹島の日を制定したことによって、韓国側がこれに抗議、日韓交流イベントが中止や延期になった。韓国が竹島(独島)の管轄であるとする行政区の慶尚北道(キョンサンプクト、けいしょうほくどう)は、さらに日本に圧力をかける目的で、韓国側に領有権があることを全面的に打ちだすキャンペーンとして「独島の月」を制定、毎年10月に実施することを決めたものである。2019年の「独島の月」には慶尚北道や大邱広域市で「独島」に関連した学術大会が多数開催された[1]。
10月が「独島の月」である理由は、1900年10月25日の「大韓帝国勅令41号」である。以下が、その原文である(一部ハングルで書かれている箇所を日本語に訳している)。
勅令第四十一号
鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正する件
第一条 鬱陵島を鬱島と改称し江原道に所属させ島監を郡守に改正し官制に編入し郡等級は五等にする事
第二条 郡庁は台霞洞に置き区域は鬱陵全島と竹島石島を管轄する事
(略)
韓国政府は、この「石島」を「独島」としている[2][3][4][5][注釈 1]。
具体的な内容
- 慶尚北道とその議会は、島根県が竹島の日の条例を破棄するまで、島根県との交流を全面的に停止する。但し商法の適用を受ける法人・団体と国レベルなどの国際行事での韓日の訪問は例外となる。
- 慶尚北道の公務員、並びに第3セクター(慶尚北道が1/2以上を出資する企業・団体)の職員などによる公務での訪日出張を10月は規制する。
脚注
注釈
- ^ 李漢基『韓国の領土』(1969年、ソウル大学校出版部)は、韓国の慶尚道方言によれば「ドク」は「石」または「岩」、したがって「ドクト」は「石島」または「岩島」の意味となり「独島」は大韓帝国勅令41号に記された「石島」に一致すると説いた[3][6]。これは、前掲1953年9月9日の韓国駐日代表部見解の一部を引用したもので、石の島をあらわす慶尚道地方の朝鮮固有語「ドクソム」を漢字表記すると「石島」となり、その発音より「独島」の漢字表現も可能という論を展開したものである[3]。一方、「ドク」が慶尚道ではなく全羅道の方言であることを主張した論述には、慎鏞廈『独島の民族領土史研究』(1996年、知識産業社)などがある[3][7]。慎鏞廈は、当時鬱陵島島民の多数は全羅道からの出稼ぎ漁民であって、朝鮮共通語で「石」をあらわす「ドル」は全羅道方言では「ドク」であるところから、大韓帝国政府は「ドクソム(石の島)」を意訳して勅令では「石島」、発音を採用すれば「独島」と表記されると述べた[3]。
韓国政府も公式に「独島」は石島の呼称に由来すると説明しており[2][3][4][5]、学校教育を通じて生徒にも「トルソム → ドクソム → 石島 → 独島は全て独島の名称として使われていた」と教えている[4]。
出典
参考文献
関連項目