全羅道(チョルラド、ぜんらどう)は、李氏朝鮮の行政区分朝鮮八道の一つ。名前の由来は、現在全北特別自治道に属する全州と、全羅南道に属する羅州の頭文字。一時、全南道、全光道と呼ばれたこともある。また別名で、湖南(ホナム)と呼ばれる。
現在の韓国の行政区分で、全北特別自治道・全羅南道・光州広域市・済州特別自治道に相当するが、全羅道地方という場合は、通常、上記から済州特別自治道[1]を除いた全北特別自治道・全羅南道・光州広域市の1広域市1道1特別自治道を指す。
高麗時代
「高麗史地理志」による道内地方区分によると、全羅道は2牧2府18郡82県で構成されていた。
李氏朝鮮時代
李氏朝鮮時代の「経国大典」によると道内地方区分は以下の通りである。
府(長官:府尹)
牧(長官:牧使)
都護府(長官:都護府使)
郡(長官:郡守)
- 宝城郡、益山郡、古阜郡、霊巖郡、霊光郡、珍島郡、楽安郡、淳昌郡、錦山郡、珍山郡、金堤郡、礪山郡
県(長官:県令)
県(長官:県監)
- 光陽県、龍安県、咸悦県、扶安県、咸平県、康津県、玉果県、高山県、泰仁県、沃溝県、南平県、興徳県、井邑県、高敞県、茂長県、務安県、求礼県、谷城県、長城県、珍原県、雲峯県、任実県、長水県、鎮安県、茂朱県、同福県、和順県、興陽県、海南県、大静県、旌義県
出身有名人
政治風土
高麗初代国王の王建は高麗王朝の安泰のためとして、十ヵ条の遺訓(訓要十条)を残した。第八条にて、高麗に最後まで抵抗した後百済のあった全羅道地域に対して、「姦巧な言語をもって権勢を弄し、政事を混乱させ、災変を起こすので、たとえ良民といえども、それに相応する位に登用してはならない」とした。後百済滅亡の際に、父の甄萱に子の神剣王が反逆した末路を念頭にしているが、反逆の地域であるとして政事に全羅道出身者は参加させないという差別意識がここから生まれ、他道出身者からの裏切り者の地という差別意識は後世に影響を及ぼした[2]。
韓国独立後、朴正熙政権下の1970年代(第三共和国時代末期以降)に慶尚道との対立が発生した結果、1990年代以降(第六共和国時代)の全羅道は投票者の8割前後が左派政党に投票する強固な左派の地盤となっている[2]。これは、全羅道出身の有力政治家である金大中と慶尚道出身の歴代大統領が対立したこと、全羅道の開発を先送りにされ、中央官庁で全羅道出身者が冷遇された事[3]、1980年に光州事件が発生したことで慶尚道出身者が主流を占める保守政党への反発が大きくなった為であり、第六共和国で実施された国政選挙において金大中が結成した平和民主党の流れを汲む政党(現在は共に民主党)が地域内で第一党の地位を占めている。大統領選挙も同様であり、現行の選挙制度となった1987年5月の大統領選挙以降、全羅北道・全羅南道・光州広域市いずれも金大中か平和民主党の流れを汲む政党の候補者が最大得票者となっている。2019年4月5日の世論調査でも、全羅道のみが69%と飛び抜けて文在寅政権の支持率が高く、他の地方ではいずれも不支持率のほうが多かった。
脚注
関連項目