牟田 秀敏(むた ひでとし、1941年2月2日[1] - 2021年3月12日)は、日本の政治家。第5代佐賀県鳥栖市長(2期8年)。
佐賀県出身[1]。1941年(昭和16年)、満州と朝鮮の国境付近で誕生し[2]、終戦後日本に引き揚げ[2]。佐賀県立三養基高等学校卒業[1]。参議院議員秘書[1] を経て佐賀県議会議員を4期[2]、自民党佐賀県連総務会長(1990年 - 1991年)、政調会長(1991年 - 1993年)を務める[3]。1999年(平成11年)3月から鳥栖市長を2期8年務める。市の行財政改革をはじめ、鳥栖流通業務団地整備事業、九州新幹線鹿児島ルートの建設、新鳥栖駅周辺整備事業をすすめた[4]。
2007年(平成19年)の市長選で橋本康志に敗れる。2011年(平成23年)の市長選でも立候補するが再度敗れた[5]。2014年、旭日小綬章受章[6]。
2021年3月12日18時50分頃、心不全のため、鳥栖市の病院で死去[7]。80歳没。死没日をもって正五位に叙される[8]。