熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿二丁目にある神社。新宿総鎮守。十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)、新宿熊野神社(しんじゅくくまのじんじゃ)とも称される。
由緒
当神社は中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建されたものと伝えられている[3]。鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、多摩郡中野郷と神田川を挟んだ豊島郡角筈村一帯の土地を開拓して財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた[4](鈴木九郎も参照)。創建年は一説には1403年(応永10年)とされ、鈴木九郎が熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといわれている[3]。かつて存在した付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。この地名は現在でも通り(十二社通り)や温泉(新宿十二社温泉)の名などに見られる。
ただし、異説もあり天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという説もある[3]。
かつては神社境内には大きな滝があり[6]、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池があり、江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれていた[3]。
明治維新後、櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とし、名を「熊野神社」と改めた[3]。西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域を氏子町としており、新宿の総鎮守として人々から信仰を得ている[3]。
「
角筈十二社(熊野神社)」
角筈十二社は、現在の西新宿四丁目あたりにあった。「大滝」と呼ばれた滝や大きな池があり、『名所江戸百景』などにも描かれたほど、江戸時代から遊興地として親しまれていた。明治以降は花柳界でも知られた場所で、池の周りは料亭や茶屋で賑わったが、その池も昭和43年(1968年)に埋め立てられてしまった。「大滝」の絵あり。「角筈十二社は近年夏季に至れば都下の納涼者群集し境内の池畔に数多の拭茶屋あり又崖上より落る殊に涼しく此池東京名物の一に撰みしもひゐき眼にはあらずと云爾」と朱書あり。薄い赤色の紙片には「角筈十二社櫻山際」と記されている。
— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「角筈十二社(熊野神社)」より抜粋[8]
文化財
祭事
氏子地域
- 新宿区西新宿一丁目 - 五丁目(各全域)、六丁目11~26
- 新宿区歌舞伎町一丁目(1番=新宿ゴールデン街一帯を除く)
- 新宿区新宿三丁目(15・17番の各一部、18番から29番、31番の一部、33番から38番…旧角筈一丁目)
交通アクセス
周辺施設など
ギャラリー
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入口(2023年12月)
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入口(2009年7月)
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狛犬・左(吽形)
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狛犬・右(阿形)
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熊野神社前交番
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十二社通り・熊野神社前交差点
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直近にある「宮前歩道橋2号」
参考資料
参考文献
公式発行物
関連文献
脚注
関連項目
外部リンク