滝野 瓢水(たきの ひょうすい、貞享元2年〈1684年〉 - 宝暦12年5月17日〈1762年7月8日〉)は、江戸時代中期の俳人。滝瓢水とも。[1]
播磨国加古郡別府村に生まれる。通称は叶屋新之丞のち新右衛門。生家は千石船七艘を有する富裕な廻船問屋だったが、瓢水の遊蕩乱費のため没落する。俳号は瓢水の他に富春斎(ふしゅんさい)や自得(じとく)等がある。[2]
同時代の書物には、「生得無我にして洒落なれば笑話多し」[2]、「俳事に金銀を擲ちて後まづしかりしも、心にかけぬ大丈夫」[3]と記されている。洒脱な中にも人間味のあふれる作品を残した。[4]
宝暦12年(1762年)5月17日(現在暦では7月8日) 旅先の大坂にて没。享年79歳。[4]
(大阪の知人が遊女を身請けしようとしていたのを諫めて詠んだ句)[注 1]
手に取るなやはり野に置け蓮華草
(亡き母の墓前で孝行できなかったことを悔いて詠んだ句)
さればとて石にふとんも着せられず
(没落し蔵を売った際に詠んだ句)
蔵売って日あたりの善き牡丹かな
(風邪をひいて薬を買いに行ったことを、「娑婆への未練」と断じた禅僧に送った句。加古川市の宝蔵寺に句碑あり)[6]
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
(神戸市須磨区の禅昌寺に句碑あり)[7]
本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉(もみじ)かな
(加古川市の鶴林寺に句碑あり)
ほろほろと雨そふ須磨の蚊遣哉