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この項目では、唐代の僧について説明しています。湛然居士と号した人物については「耶律楚材」をご覧ください。 |
湛然(たんねん)は、中国唐代の天台宗僧侶。荊渓湛然(けいけい たんねん)と呼ばれ、また、妙楽大師と称された。天台宗の第6祖。
事績
俗姓は戚氏。生家は儒教を奉ずる家柄であったが、早くより仏教を志向し、17歳の時に仏教、とりわけ天台教義を修学し始めた。20歳の時に左渓玄朗に入門し、出家前にその奥義を受けた。
出家したのは、38歳の時であり、以後、更に研鑽に勤めた。天宝13年(754年)に玄朗が没すると、その継嗣として、天台宗門の再興に尽力した。当時の華厳宗・法相宗・禅宗といった勢いの盛んな宗派に対抗し、盛んに講筵を張り、またその一方で述作にも専心した。よって、天台中興の祖と称せられる。
門弟子には、道邃・行満ら39名が数えられるが、道邃・行満の二人は、最澄に天台法門を伝えたことで知られる。
著書
- 『止観輔行伝弘決』10巻
- 『法華玄義釈籤』10巻
- 『法華文句記』10巻 ほか多数
伝記資料
参考文献