深谷 克己(ふかや かつみ、1939年6月14日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。早稲田大学名誉教授。
1939年、三重県[1]久居市(現・津市)生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部に入学するも[1]、翌年退学[1]。1969年早稲田大学文学部史学科国史専修入学[1]、1968年同大学院文学研究科史学専攻博士課程入学[1]。1971年早稲田大学第一・第二文学部助手[1]、1974年同専任講師[1]、1977年助教授[1]。1980年「百姓一揆の歴史的構造」で早稲田大学より文学博士の学位を取得[1]。1982年同教授[1]。同年、家永教科書裁判で証言を行う[1]。この頃から、安丸良夫らと民衆思想研究会を開催する。
1990年、アジア民衆史研究会を設立して安在邦夫とともに代表に就任[1]。1992年岡山藩研究会代表[1]。2001年早稲田大学アジア歴史文化研究所(総合研究機構プロジェクト研究所、- 2006年まで)代表[1]。2010年、早稲田大学を定年退職[1]。名誉教授となる。
門下生に馬場章(東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授)、谷口眞子(早稲田大学文学学術院教授)、大橋幸泰(早稲田大学教育・総合学術院教授)、保坂智(国士舘大学文学部教授)、堀新(共立女子大学教授)、須田努(明治大学情報コミュニケーション学部教授)、吉田正高(東北芸術工科大学准教授)などがいる[要出典]。
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