浅坂 武次(あささか たけじ、1930年7月24日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。青森県八戸市出身[1]。
八戸商業高校卒業後一旦就職、その後立教大学に進学した。
1948年から1951年まで青森県選手権4連覇[2]。 1954、1955世界選手権代表[3]。
立教大学在学時の1956年コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m22位、1500m21位、5000m28位、10000m22位だった。
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