津守 國榮(国栄、つもり くになが、1882年(明治15年)8月9日 - 1940年(昭和15年)4月5日)は、明治から大正期の男爵、神官。第75代住吉神社宮司。大日本国粋会大阪本部会長。旧名・秀長。
経歴
伯爵・清閑寺盛房の五男として生まれる。伯爵・清閑寺経房の弟。
住吉神社神職の男爵・津守国美の養子となる。養父の死去に伴い、1901年6月12日に家督を相続し、翌日、男爵を襲爵[2]。1903年2月3日[3]、第75代住吉神社宮司となる。1920年(大正9年)12月15日、大日本国粋会大阪本部会長に就任。1926年9月16日、住吉神社宮司を隠居。
親族
養父の津守国美は住吉神社宮司74代、河内枚岡神社宮司、大鳥大社宮司のほか、歌学者でもあった[4]。国美の娘・津守好子は明治時代の女官。
妻の静子は侯爵久我通久の五女。娘の三輪は膳所藩筆頭家老の戸田資慶に嫁した。侯爵久我常通の二男通秀を養子とする。
脚注
- ^ 『官報』第5383号、明治34年6月14日。
- ^ 『官報』第5874号、明治36年2月4日。
- ^ 津守国美美術人名辞典
参考文献