河鰭 基秀(かわばた もとひで)は、江戸時代前期の公卿。左近衛権中将・持明院基久の子。官位は正三位・非参議。
経歴
河鰭公虎(西洞院時慶)が西洞院家を相続したために中絶していた河鰭家を再興した。寛永5年(1628年)右近衛権中将になる。寛永15年(1638年)正月5日に従三位に叙位される。
その後、正三位・非参議に至ったが、寛文3年(1663年)11月10日に出家し、翌寛文4年(1664年)2月11日に薨去。享年59。
系譜
参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。