河辺 博長(河邉、かわべ ひろなが)は、明治から昭和期の政治家、神官、華族。位階および勲等は正三位・勲四等。貴族院男爵議員。
山城国京都で右中弁・万里小路博房の四男として生まれる[1][4][5]。1884年(明治17年)5月23日、伊勢神宮大宮司の家系である河辺家当主・河辺英子(ふさこ、故河辺長量夫人、本多忠升十女)の養子となり家督を継承[1][4]。同年7月、博長と改名し[3][5]、同月8日、男爵を叙爵した[1][4][6]。
1884年、宮内省十七等出仕となる[2]。以後、明宮(大正天皇)祗候、青山御所祗候、府社亀戸神社社司などを務めた[2][4][5]。1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]、1911年(明治44年)7月9日まで1期在任した[2]。