沖縄県知事一覧(おきなわけんちじいちらん)は、1879年(明治12年)3月の廃藩置県によって設置された沖縄県の歴代の県令、官選知事、米軍施政権下の政府首長を経て、現在に至る知事の一覧である。尚、米軍施政権下初期の宮古列島、八重山列島の知事については、民政府・群島政府知事等一覧を参照のこと。
特記事項
沖縄復帰特措法によれば、法的運用上、同じものが米軍統治移行前に存在していた場合にはその地位を引き継いでいると見做せるようになっており、沖縄県そのものについても米軍統治前にはあったことから、第3条によって他の都道府県同様事実上戦前から続いているものとして扱われる。従って、本項目においては官選時代の知事・県令についても扱う。
なお先島民政府知事については、先島地方も戦前は沖縄県の一部であったこと、米軍統治によって初めて登場したものであることから、別扱いとする。
県令
(出典:[1])
沖縄県令心得
|
代 |
写真 |
氏名 |
任期初日 |
任期終日 |
備考
|
- |
|
木梨精一郎 |
1879年(明治12年)3月27日 |
1879年(明治12年)4月4日 |
|
沖縄県令
|
代 |
写真 |
氏名 |
任期初日 |
任期終日 |
備考
|
1 |
|
鍋島直彬 |
1879年(明治12年)4月4日 |
1881年(明治14年)5月18日 |
|
2 |
|
上杉茂憲 |
1881年(明治14年)5月18日 |
1883年(明治16年)4月22日 |
|
3 |
|
岩村通俊 |
1883年(明治16年)4月22日 |
1883年(明治16年)12月21日 |
|
4 |
|
西村捨三 |
1883年(明治16年)12月21日 |
1886年(明治19年)4月27日 |
|
5 |
|
大迫貞清 |
1886年(明治19年)4月27日 |
1886年(明治19年)7月19日 |
|
官選知事
(出典:[2])
米軍統治下における諸職
(出典:[3])
民政府・群島知事等
沖縄諮詢会委員長
|
代 |
写真 |
氏名 |
任期初日 |
任期終日 |
備考
|
1 |
|
志喜屋孝信 |
1945年(昭和20年)8月20日 |
1946年(昭和21年)4月24日 |
|
沖縄知事
|
代 |
写真 |
氏名 |
任期初日 |
任期終日 |
備考
|
1 |
|
志喜屋孝信 |
1946年(昭和21年)4月24日 |
1950年(昭和25年)11月3日 |
|
沖縄群島知事
|
代 |
写真 |
氏名 |
任期初日 |
任期終日 |
備考
|
1 |
|
平良辰雄 |
1950年(昭和25年)11月4日 |
1952年(昭和27年)1月30日 |
|
中央政府首長
本土復帰後における公選知事
(出典:[6])
脚注
注釈
- ^ 『新編日本の歴代知事』には、「6月23日」と記載[4]。
- ^ 『沖縄大百科事典 別巻』によると、官職名は単に「委員長」と記載[3]。
- ^ a b 『沖縄大百科事典 別巻』によると、官職名は単に「行政主席」と記載[3]。
- ^ 2018年8月7日より12日まで謝花喜一郎副知事が、13日以降は富川盛武副知事が職務代理者となっている[9]。
- ^ 行政文書の種類によって、知事就任以前から用いられてきた「玉城デニー」名義と本名の「玉城康裕」名義の使い分けが行われている。対外的に法的効果を伴わない場合は、可能な限り知名度の高い「玉城デニー」名義となっている。[10]
出典
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
沖縄県知事一覧に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
|
---|
官選 |
|
---|
米軍統治下 |
沖縄諮詢会委員長 | |
---|
沖縄民政府知事 | |
---|
沖縄群島政府知事 | |
---|
臨時琉球 中央政府行政主席 | |
---|
琉球政府行政主席 | |
---|
|
---|
公選 | |
---|
本テンプレートにおいては、米軍統治下における諸職についても表記する。
カテゴリ |