池田 太寅(いけだ たいしん)は、江戸時代前期から中期にかけての岡山藩の家老。通称は刑部。建部池田家(森寺池田家)7代当主。
天和2年(1682年)7月2日、岡山藩家老池田宗春の嫡男として誕生。貞享2年(1685年)、父長尚の死により4歳で家督相続した。幼少のため、当初は家老森寺庄右衛門が名代となった。元禄11年(1698年)2月、母恵明院(日置金子)が死去した。元禄12年(1699年)、刑部と名を改める。元禄13年(1700年)、江戸家老となる。宝永元年(1704年)、日置忠明と共に、江戸藩邸を訪れた伯父の加賀藩家老今枝直方(忠明の弟で、母恵明院の兄)と初めて対面する。宝永3年(1706年)、仕置家老となる。
享保8年(1723年)10月9日没。享年42。家督は母方の従弟俊清(日置忠明末子)を養子に迎えた。正室てる(随松院)は寛保3年(1743年)没している。