水橋 文美江(みずはし ふみえ、1964年1月15日[1] - )は、日本の脚本家。石川県金沢市出身[2]。
略歴・人物
石川県出身。 小学5年生の時、在籍していた三馬小学校が創立百周年を迎え、自身のクラスに「100年前の三馬小学校」という演劇のお題が渡され、シナリオ(クラスの大将(当初は「番長」だったが、担任の先生に、明治時代初期に「番長」はおかしいと「大将」に直される)と子分や女子生徒たちとのやり取り)を書き演技指導を行い、記念式典で発表する。これが脚本家としての始まりである。 中学生のとき、担任教師のすすめで石川県児童文化協会が後援する児童劇団に所属し、このころから短い脚本を書き始めた。石川県立金沢錦丘高等学校を卒業(17期生)[3]。
バンド「たま」が売れ出したときナゴムレコードのスタッフとして働いていた[4]。
第3回フジテレビヤングシナリオ大賞への応募をきっかけに[1]、1990年の『東京ストーリーズ』第35回「おろしたての夫婦生活」(フジテレビ)で脚本家としてデビューする[5]。
NHK名古屋ラジオドラマコンクール佳作、橋田賞新人脚本賞、1995年度石川TOYP大賞をそれぞれ受賞[5][6]。
夫は、フジテレビのディレクター・映画監督、中江功。2児の母[2]。
主な作品
テレビドラマ
映画
著作
エッセー
小説
ガイドブック
連載
脚注
外部リンク