水垣 偉弥(みずがき たけや、1983年12月16日 - )は、日本の男性総合格闘家。神奈川県三浦市出身。BELVA主宰。関東学院大学工学部卒業、同大学院修了。元CAGE FORCEバンタム級王者。
総合格闘技のメジャー団体「UFC」でトップ選手として活躍し、バンタム級ランキング最高5位[1]まで上り詰めた。優れた打撃の技術と、大学院修了ということから「インテリジェント・スナイパー」の異名を持つ。
幼稚園の頃から時代劇を見るのが好きで、小学1年生から逗子剣道協会で剣道を始める。
中学時代は剣道部が無かったため野球部に所属するも、引き続き道場に通い剣道の練習は継続。中学生の頃より格闘技に興味を持つ。
横浜高校進学後は剣道部に所属し[2]、引退後にシューティングジム八景で総合格闘技を始めた。
大学では電気工学を専攻し、大学在学中にプロ総合格闘家デビュー。
父親の後押しで大学院へ進学し[3]、ガソリンスタンドで働きながら格闘家としてキャリアを積む。
2002年11月3日、第4回アマチュアパンクラスオープントーナメント60kg未満級に出場し、3回戦で敗退した[4]。
2003年7月20日、第3回東日本アマチュア修斗選手権大会フェザー級で準優勝を果たした。
2004年9月20日、第11回全日本アマチュア修斗選手権大会フェザー級で優勝を果たした[5]。
2005年、フェザー級新人王決定トーナメントでプロ修斗デビュー。
決勝で徹肌ィ郎に判定勝ちし、新人王を獲得。新人王のMVPも受賞した[6]。
2006年7月21日、前修斗世界フェザー級王者、松根良太と対戦。スタンドでの真っ向勝負を展開し、1-0の判定ドローに持ち込んだ。
2006年11月10日、修斗で大沢ケンジと対戦。1Rに左フックと右フックで2度ダウンを奪われると、2Rには膝蹴りの連打によりTKO負け。キャリア8戦目でプロ初黒星となった。
2007年2月17日、修斗 BACK TO OUR ROOTS 01で山本篤と対戦し、0-3の判定負け。
2007年7月15日、修斗 BACK TO OUR ROOTS 04で上田将勝と対戦し、0-1の判定でドロー。
2007年9月8日、CAGE FORCE初参戦となったCAGE FORCE 04で今泉堅太郎と対戦し、3R判定勝ちを収めた。
2008年4月5日、CAGE FORCE 06で開幕した初代バンタム級王座決定トーナメントにエントリーされたが、怪我により1回戦は6月22日のCAGE FORCE 07にスライドされた。
2008年6月22日、CAGE FORCE 07のバンタム級王座決定トーナメント1回戦で藤原大地と対戦。右フックで藤原を失神させ、TKO勝ちを収めた。
2008年9月27日、CAGE FORCE 08で遠藤大翼と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。当初、トーナメント準決勝で中原太陽と対戦予定であったが、中原の怪我でCAGE FORCE EX -eastern bound-にスライド。さらには中原の怪我が回復せず棄権となり、決勝進出が確定した。
2008年12月6日、CAGE FORCE 09のバンタム級王座決定トーナメント決勝で大石真丈と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2009年4月5日、WEC初参戦となったWEC 40でミゲール・トーレスの持つWECバンタム級王座に挑戦。5ラウンド互角に戦い抜くも、0-3の判定負けで王座獲得に失敗。
敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。この試合は、トーレスの対戦相手だったブライアン・ボウルズが負傷欠場したため、WEC初戦ながらタイトルマッチに抜擢された[7]。
2009年8月9日、WEC 42でジェフ・カランと対戦、判定2-1でWEC初勝利を飾った。
2009年12月19日、WEC 45でスコット・ヨルゲンセンと対戦し、0-3の判定負けを喫したものの[8]、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[9]。
2010年4月24日、WEC 48でハニ・ヤヒーラに判定勝ち、WEC2勝目となった[10]。
2010年8月18日、WEC 50でユライア・フェイバーと対戦予定であったが、フェイバーの負傷で延期となった[11]。11月11日、WEC 52のメインイベントで改めてフェイバーと対戦し、チョークスリーパーで失神させられ一本負けを喫した[12]。
2011年3月3日、UFC初参戦となったUFC Live: Sanchez vs. Kampmannでルーベン・デュランと対戦し、2-1の判定勝ち[13]。
2011年7月2日、UFC 132でブライアン・ボウルズと対戦し、0-3の判定負け[14]。
2011年9月24日、UFC 135でコール・エスコベドと対戦し、2RにTKO勝ち[15]。
2012年2月26日、日本開催となったUFC 144でクリス・カリアソと対戦し、0-3の判定負け。しかし水垣がテイクダウンを奪い、グラウンドで上を長時間キープし続けた試合であったため、水垣の勝利ではないかと物議を醸し、水垣にも勝利者ボーナスが支払われた。[16]。
2013年3月3日、日本開催となったUFC on Fuel TV 8でブライアン・キャラウェイと対戦。2Rにダウンを喫すも3Rに怒涛の追い上げを見せ、2-1の判定勝ち。
2013年8月28日、UFC Fight Night: Condit vs. Kampmann 2でエリック・ペレスと対戦し、3R判定勝ちを収めた
2013年12月6日、UFC Fight Night: Hunt vs. Bigfootでナム・ファンと対戦し、3-0の判定勝ち。
2014年5月24日、UFC 173でバンタム級ランキング10位のフランシスコ・リベラと対戦し、3-0の判定勝ち。5連勝となった。当初はバンタム級ランキング4位のTJ・ディラショーと対戦する予定であったが、ディラショーが同大会で行われるタイトルマッチに挑戦する事になったために対戦相手がリベラに変更された。
2014年9月27日、UFC 178でバンタム級ランキング10位のドミニク・クルーズと対戦し、1RKO負け[17]。
2015年9月27日、UFC Fight Night: Barnett vs. Nelsonでジョージ・ループと対戦し、2R判定勝ち。
2016年8月20日、UFC 202でバンタム級ランキング11位のコーディ・ガーブラントと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。
2016年12月17日、UFC on FOX 22でバンタム級ランキング13位のエディ・ワインランドと対戦し、右フックでTKO負けを喫した。
2017年9月30日、ACB初出場となったACB 71: Moscowでルスタム・ケリモフと対戦し、1R右フックでTKO負けを喫した。
2015年2月16日、ACB 80: Burrell vs. Tumenovでムラッド・カラモフと対戦し、3R判定負けを喫した。
2018年5月12日、ACB 87: Mousah vs. Whitefordでピエトロ・メンガと対戦し、3R判定勝ちを収めた。
2019年5月12日、約10年半ぶりの国内団体参戦となったDEEP 89 IMPACTで昇侍と対戦し、3-0の判定勝ち[18]。
2019年8月18日、RIZIN初参戦となったRIZIN.18でマネル・ケイプと対戦し、2Rに右フックでKO負け。
2020年6月3日、自身のSNS等において現役引退を表明[19]。同日、動画で「昨年の8月のマネル・ケイプ戦を持ちまして選手生活を終えることにしました。ただMMAを好きという気持ちは全く変わりません。これからは1ファンに戻りますが、MMAをずっと楽しんでいきたいと思います」とのメッセージを配信した[20]。
2021年9月10日、総合格闘技ジム「 BELVA(ベルヴァ)」を京浜急行上大岡駅前にオープンした[21]。
ジムでの指導のほか、総合挌闘技の解説の仕事などを務めている。
2008年12月6日 - 現在