|
サッカー選手の「水口洋次」とは別人です。 |
水口 洋治(みずぐち ようじ、1948年〈昭和23年〉4月21日 - 2013年〈平成25年〉8月31日[1])は、日本の詩人。大阪市出身、大阪市立大学卒業、甲子園短期大学などの教員を歴任した。
経歴
1948年、大阪府大阪市生まれ。小学校五年や六年の時に、絵のコンクールで特選をとった。その頃から詩を書き出した[2]。中学では天文気象クラブと新聞部に入部し、本格的に詩を書きだした[2]。佐藤春夫が最初に熱烈に読んだ詩人であった。高校は伊東静雄のいた大阪府立住吉高校へ進んだ。1967年、同高校を卒業[2]。1972年、大阪市立大学文学部哲学科卒業。1974年1月に詩の季刊雑誌「PO(ポー)」を創刊し、「詩を朗読する詩人の会『風』」を設立する[1]。1994年、関西詩人協会の設立時のメンバーで[3]、初代の事務局長、ホームページ・システム・オペレーターを担当した[1]。1999年 - 2003年、甲子園短期大学文化情報学科助教授。現代詩人会会員。関西詩人協会 運営委員 国際交流担当、昭和文学会会員、四季派学会、IWA(International Wrighters Authurs Association)、日本文藝家協会所属。
2013年8月31日、心筋梗塞のため死去。65歳没。帰天式(葬儀)は、幸福の科学大阪中央支部精舎でとり行われた[4]。幸福の科学を信仰していた。
著書
論文
- 『動く風景,動かない道--大阪・難波宮のこと』現代詩手帖、思潮社 編、1993年11月、36巻13号
- 『言論と出版の自由を擁護しよう』PO 89号、平成9/1997年11月1日発行
- 『初期の田中克己の詩』甲子園短期大学紀要第17号 p101-105、平成11/1999年3月10日発行
- 『新川和江論 一』甲子園短期大学紀要第20号 p91-100、平成13/2001年3月10日発行
- 『新川和江論 二』甲子園短期大学紀要第21号 p97-108、平成14/2002年3月10日発行
- 『イタリアとダンテ』PO 105号、特集「イタリア」、平成14/2002年5月20日発行
- 『三好達治のやり残したもの』PO 106号、特集「三好達治」、平成14/2002年8月20日発行
- 『新川和江論 三』甲子園短期大学紀要第22号 p113-119、平成15/2003年3月10日発行
- 『新川和江論 四』甲子園短期大学紀要第23号 p167-172、平成16/2004年3月10日発行
- 『大阪の「キタ」と「ミナミ」の文学』文化情報学科記念論集 : 甲子園短期大学開学四十周年記念、2005年3月
- 『情報倫理学概論』
参考文献
脚注
注釈
出典
- ^ a b c “詩人の水口洋治さん死去 季刊誌「PO」を創刊”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2013年9月1日). 2013年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月1日閲覧。
- ^ a b c 水口洋治のプロフィール
- ^ 関西詩人協会結成される 平成6/1994年11月18日(金)毎日新聞大阪本社版朝刊
- ^ おくやみ : 水口洋治 氏 (詩人) - 訃報新聞 - 水口洋治氏(2013年08月31日死去,日本)の経歴や死亡原因,関連情報などを表示
- ^ 『僕自身について』水口洋治の部屋- -水口洋治の部屋アーカイブ
- ^ 『夜明けの出発』水口洋治の部屋 - 水口洋治の部屋アーカイブ
- ^ 朝日新聞大阪本社版 平成13(2001)年10月27日夕刊p7
外部リンク